梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

昭和の歌謡曲・4・《作詞家・横井弘の「名品」》

 昭和男の哀しみを女々しく詠った代表は古賀政男だった。曰く「身は焦がれつつ忍び泣く」(「影を慕いて」1932年・昭和8年・歌・藤山一郎)。その伝統を戦後まで引き継いだのは高野公男と星野哲郎だったか。 高野は「別れの一本杉」(1955年・昭和30年・歌・春日八郎)で「泣けた泣けたこらえきれずに泣けたっけ」、星野は「帰れないんだよ」(1978年・昭和53年・歌。津軽ひろ子)で「男の胸に抱きしめた夢が泣いてる裏通り」と《泣いている》。夭折した高野には「男の友情」(曲・船村徹、歌・青木光一)という作品もある。そこでは「風に切れ切れ友の名を淋しく呼んだら泣けてきた」そうである。昭和男の一人として、そうした心情がわからないわけではないが、どうせ泣くなら、私は横井弘の方を選ぶ。作品は「居酒屋」(1958年・昭和33年・歌・春日八郎)。詠って曰く「昔●俺●同●だ● 酒●つ●れ●ゃ こ●あ●る 泣●な● 泣●な● 男●ぞ 涙●ッ●に 落●し●ら 居●屋● 古●た●ラ●え 笑●だ●う」(●は伏字)。ここに登場する人物は、以前、信じた男もしくは女に裏切られ、「ひょろりよろけた」が、「どうした どうした 意気地なし」と自分を叱りながらもやりきれず、居酒屋に通っている。そこで出会った先輩(おそらく明治男)から「昔の俺と同じだ」と力づけられ、その温もりに落涙する。そして「やるんだ やるんだ 俺もやる」と調子はずれの唄を、しみじみ歌って大団円となる。実にさわやかな結末で、私の心は洗われる。
 そういえば、横井弘には「川は流れる」(1961年・昭和36年、曲・桜田誠一、歌・仲宗根美樹)、「ネオン川」(1966年・昭和41年、曲・佐伯としお、歌・バーブ佐竹)という名品もあった。この二作は昭和女の哀しみ(うつろい)を前・後編で描いた逸品である。都会に出てきた少女が「ささやかな望み破れて 哀しみに染まる」「ある人は心つめたく ある人は好きで分かれ」た。「人の世の塵にまみれて」も「嘆くまい あすは明るく」生きようとしたのだが・・・。数年後、少女は「いつか知らずに流されて」「泥にまみれた」「ネオン川」に(飲食店員として)たどり着いた。今では厚い化粧、華美な衣装で身を隠し、以前と同じように「義理に死んでく人 金に負けてく人」との出会いを重ねている。「いくらまごころ尽くしても 信じられずに諦めた 恋はいくたびあったやら」・・・。それでも昭和女はあきらめない。「おとぎ話の夢だけど、晴れて素顔に戻る日を抱いている」のである。その健気さに、私は心底から感嘆する。
 というわけで、古賀政男、高野公男、星野哲郎の詞に比べて、横井弘の詞の方に軍配を上げたいと私は思うのである。(2019.2.11)