梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「死ぬ」ということ・1・《「トツゼンノサヨナラ」》

 一昨日、H先生の訃報が舞い込んだ。まさに「トツゼンノサヨナラ」で、私は絶句した。と言うのも、つい1か月余り前(12月15日))、私はH先生と酒席をともにしていたからである。ただし、病身の私は日本酒を五勺ほど舐め、H先生は焼酎のお湯割りに梅干しを入れ、3合ほど飲み干し帰路についたほどのことに過ぎなかったが・・・。
 H先生が20歳代の前半、私が20歳代後半からの「付き合い」(飲み仲間)であった。彼の専門は「情緒障害」「教育相談」、私の方は「聴覚・言語障害」「特殊教育」(今の特別支援教育)と畑は違っていたが、この40年間、交誼を結び続けてきた。最後の酒席で、H先生は早々に帰路に就いたので、一同は首をかしげたが、やはり何らかの異状が生じていたのかもしれない。その時は、いつもと変わらぬ元気な声で、「今日はあなたの笑顔が見られて安心した。よかった、よかった」と言い、それが別れの言葉となった。いつもなら「あなたはヘンチクリンだ。そのヘンチクリンなところが好きなんだけど・・・」と言って周囲を笑わせていたのに・・・。
 今日は午後6時から通夜が営まれた。私は「何がなんでも」参列するつもりだったが、体調が安定しない。斎場に電話を入れ「香典を預かってもらえるか」問い合わせたところ「現金なので預かれません。でも事情が事情なので、特別に配慮します」ということであった。「では、これから参ります」と、片道1時間余り(電車3回乗り換え)の斎場に赴いた。時刻は午後2時、あたりは閑散としていたが「H家3F」という看板が目に入った。私は事務室のスタッフに香典を手渡し、帰路に就いた。心中で「H先生、御焼香も叶わずごめんなさい」と謝った。H先生は「イイヨ、イイヨ」と、いつもの大きな声で許してくれるだろうか。
 H先生の故郷は、梅林のある越生だ。梅一輪突然サヨナラする人よ、梅の香と逝く人の声なつかしき・・・、相変わらずの駄句が浮かんできた。謹んでお悔やみ申し上げます。
(2019.1.30)