梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「ニンニクの日」

 今日は2月29日、四年に一度やってくる「ニンニクの日」だそうだ。ニンニクとは、大蒜でもあり忍辱でもあり、私にとってはたいそう親しみやすい代物である。これまで75年間の人生は、まさに「忍辱」の一語に集約される。そして、まだ生き延びられているのも、毎朝口にする一片の「大蒜」のおかげだからである。
 「ニンニクの日」は四年に一度しかやってこない。とすれば、私にとって今日が最後になるかもしれない。だが昨今の「新型コロナウィルス感染」騒ぎで、その記念すべき日はあわただしく過ぎようとしている。人々は「巣ごもり」を始め、早くも日常品が店頭から消えている由、《われ先に自分を守ろうとする》浅ましさを、私たちは未だに克服することができないか・・・。このまま行けば食糧不足は時間の問題、ライフラインも絶たれるだろう。これだけ豊かで便利な社会になっても、心の「貧しさ」は昔のままだ。否、不便で貧乏だった昔の方が、人々の心は「豊か」だったかもしれない。否、否、それは年寄りの懐古主義、昔の人々も《他人を押しのけてわれ先に利益を貪ろうとする》風潮は顕著であった。他ならぬ私自身が引き揚げのために、父の友人夫妻に育まれた(同輩の)愛児を犠牲にしたのだから・・・。
 さればこそ、以後の「競争社会」に背を向け、強者からの嘲り、賢者からの侮蔑に堪え忍ぶ「忍辱」の人生を送ったのではなかったか。もう十分に生きた。ジタバタするのはやめよう。「新型コロナウィルス感染」はさらに拡大し、犠牲者は後を絶たないかもしれない。新型肺炎による死ばかりでなく、日常の生活が普段どおりに送られなくなることによる死が頻発するかもしれない。被害を受けるのはいうまでもなく弱者だ。そんな折り、あらためて「忍辱」に徹しよう。私は弱者としての人生を全うするのだ。 
 今日は「ニンニクの日」、四年後の今日まで《弱者として生き抜く》ことを目指そう。
(2020.2.29)