梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「日本の夜と霧」(監督・大島渚・1960年)

 DVDで映画「日本の夜と霧」(監督・大島渚・1960年)を57年ぶりに観た。当時、私は学生だったので「大変興味深く」「共感をもって」鑑賞したことだけは記憶にあるが、登場人物の誰に共感したかは定かではない。かすかに最後の場面で、党員の学生がステロタイプ化した弁舌を機械音のように「流している」うちに「終」となったことは覚えていたのだが・・・。
 この映画のあらすじを「ウィキペディア百科事典」から引用すると、以下の通りである。 〈霧の深い夜、60年安保闘争における、6月の国会前行動の中で知り合った新聞記者の野沢晴明と、女子学生の原田玲子の結婚式が行なわれていた。野沢はデモで負傷した玲子と北見を介抱する後輩の太田に出会い、二人は結ばれたのであった。北見は18日夜、国会に向ったまま消息を絶った。招待客は、それぞれの学生時代の友人らである。司会は同志だった中山と妻の美佐子。その最中、玲子の元同志で6月15日の逮捕状が出されている太田が乱入し、国会前に向かったまま消息を絶った北見の事を語り始める。一方で、ハンガリー民謡を歌う色眼鏡の青年(野沢の旧友だった)の宅見も乱入してきて、自ら命を絶った高尾の死の真相を語り始めた。これらをきっかけにして、約10年前の破防法反対闘争前後の学生運動のあり様を語り始め、玲子の友人らも同様に安保闘争を語り始める。野沢と中山は暴力革命に疑問を持つ東浦と坂巻を「日和見」と決めつけていたが、武装闘争を全面的に見直した日本共産党との関係や「歌と踊り」による運動を展開した中山、「これが革命か」と問う東浦や「はねあがり」など批判し合う運動の総括にも話が及び、会場は世代や政治的立場を超えた討論の場となる。〉
 また、主な登場人物(配役)は以下の通りである。
 ●野沢晴明(渡辺文雄)、原田玲子(桑野みゆき)、太田(津川雅彦)、北見(味岡享)
高尾(左近允宏)、宅見(速水一郎)、東浦(戸浦六宏)、坂巻(佐藤慶)、宇田川(芥川比呂志)、宇田川の妻(氏家慎子)、中山勝彦(吉沢京夫)、中山美佐子(小山明子)。
 野沢と玲子の仲人は大学教授の宇田川であり、彼は中山勝彦と美佐子の結婚式でも仲人を務めた。学生の運動に理解を示し、全学連の学生からは信頼されているらしい。
   新郎の野沢と中山夫妻、高尾、宅見、東浦、坂巻らのグループは、破防法反対闘争を経験した学生運動の元同志、新婦の玲子、太田、北見は安保闘争を闘った(まだ闘っている)学生運動の同志。いずれも二人の結婚を祝いに来たのだが、太田は今も警察から追われている。北見を玲子が闘争に誘い込んだが、ともに負傷した後、北見だけは行方不明、安否を気遣いもせず、闘争を投げ出して家庭に収まろうとする玲子の「変貌」(転向)を、太田は許すことはできなかったのだろう。「おめでとう」と言ったあと、玲子を詰問した。それがきっかけで、式場は「討論の場」に変わってしまう。今度は、破防法闘争を闘った、宅見、東浦、坂巻らが、新郎の野沢や司会役の中山夫妻らを詰問する。彼らの中にも、スパイ容疑の嫌疑をかけられ、自殺した高尾という同志がいたのだ。野沢や中山は党の方針にただ諾々と従うだけで自省心に欠けている、と宅見たちは言いたいのだろう。 破防法闘争と安保闘争には10年の隔たりがあるが、いずれも指導部に追随するグループと批判グループとの対立が生じ、本来「闘うべき」《敵》の思うつぼに陥るという構図が浮かび上がる。「左翼」と称する「反体制勢力」の《根深い》対立をリアルに描出し得たという点で、この映画には一定の価値があったと私は思う。要するに、「統一と団結」「連帯」などという言葉は、所詮、青春時代(戦後一時期)の「空しい」スローガンに過ぎず、高齢化社会の(現代の)若者たちにとっても全く意味不明、無縁の代物でしかないだろう。さらに、以後の高度経済成長を果たした今、「反体制勢力」などという集団は《完全に消失》、一億総《体制化》の時代となった。そのことを寿ぐべきか忌むべきか、それは国民一人一人が考えるべき問題である。
(2020.8.10)