梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

昭和の歌謡曲・1・《流行歌手の実力》

 「古賀メロディー」は、昭和の流行歌を彩る数多くの作物を支えているが、なかでも「影を慕いて」(1931年・昭和6年)は古典的名品と言われている。当初の歌手は佐藤千夜子であったが、後に藤山一郎に歌い継がれたことによって爆発的にヒットした。「実力派」といわれる昭和の流行歌手は挙ってこの名品にチャレンジ、その歌唱力を競っているように思われるが、誰が首位の座を占めるだろうか。俗に「歌は語るように、芝居は歌うように」と言われているが、だとすれば歌詞が命である。その美しさをどのように表現するか。私は、日本語の美しさは「鼻濁音」にあると考えている。「影を慕いて」には、この鼻濁音が以下の通り11箇所登場する。①影を慕いて(ゲ)、②我が思い(ガ)、③焦がれつつ(ガ)、④なぐさめ(グ)、⑤時雨(グ)、⑥永き(ガ)、⑦霜枯れて(ガ)、⑧我が定め(ガ)、⑨永ろうべきか(ガ)、⑩はかなき影よ(ゲ)、⑪我が恋よ(ガ)。
 藤山一郎は当然のこととして、11の鼻濁音を完璧に歌いこなしているが、他の「実力派」歌手の実態や如何に? 
 今、私の手元には、森進一、美空ひばり、都はるみ、天童よしみ、アイ・ジョージ、トミー・藤山の作品があり、それらを聞き比べると「歌手の実力」が見えてくるのである。藤山一郎と同様に完璧だったのは、都はるみ一人であった。他の多くが、時雨の「グ」を「グーチョキパー」の「グ」のように構音していた。アイ・ジョージはラテン、ジャズシンガー、トミー・藤山はウェスタン歌手なので「やむを得ない」面もあるが、もし鼻濁音を完璧に歌いこなせればピカイチの出来映えになったと思う。
 鼻濁音は一例だが、昭和の流行歌手にとって「実力」とは、「古賀メロディー」も含めて、他人の歌をその他人以上の出来映えで歌えるか、そのレパートリーが何曲あるか、ということで決まる。畠山みどりの「侍ニッポン」、笹みどりの「十三夜」、トミー・藤山の「ほんとにそうなら」などは捨てがたい佳品だが、レパートリーの多さでいえば、ちあきなおみの右に出る者はいないであろう。その後を、天童よしみが追っている。 
(2018.7.30)