梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」の現実(矛盾)

 今回に限ったことではないが、これまでと同様に、「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」の現実は、「オリンピック憲章」に掲げられている基本理念(「オリンピズムの根本原則」)とは無縁のところで行われている。
《その理由1》
「オリンピズムの根本原則・1」では、以下のように述べられている。
〈オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。〉
 ここでは《努力のうちに見出される喜び》《よい手本となる教育的価値》《社会的責任》《普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造》が強調されており、その中核には無欲なアマチュアリズムが貫かれなければならないが、現実は、入賞者に報奨金が(JOCから)支給される。金メダル500万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円(パラリンピックは金メダル300万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円)。スポーツ庁のHPには以下の説明があった。
〈また、これに加え、JOC及びJPSAの加盟競技団体からも、報奨金を支給している場合があります。国としては、メダリストの栄誉を称える観点から、報奨金について所得税と住民税を非課税とするとともに、メダリストへの顕彰を行っています。〉
 かつて「オリンピックは参加することに意義がある」と言われた。この基本理念、《努力のうちに見出される喜び》は「金銭を得る喜び」に変わったのである。
《その理由2》
 また「オリンピズムの根本原則・2」には以下の文言がある。
〈オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。〉
 オリンピックが「平和の祭典」と呼ばれる所以だが、オリンピックによって「平和な社会」が推進されたことはない。戦争によってオリンピックが中止されたことはあっても、オリンピックによって戦争が中止されたことはないからである。本来、オリンピックは各国が「戦争をしないために」(武力による紛争の解決をしないために)、「戦争に代わるものとして」、国際社会の平和的運営のために開催されるべきものである。戦争ほど《人間の尊厳保持に重きを置かない》行為はないのだから。
《その理由3》
 さらに「オリンピズムの根本原則4」が続く。
〈スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。〉
 だとすれば、何故に「オリンピック」と「パラリンピック」を《区別》する必要があるのか。《すべての個人はいかなる種類の差別もなく》スポーツを行う機会を与えられなければならないならば、障碍者の競技も「オリンピック」のなかに含まれて当然である。ことさらに区別する理由は何か。
 以上、「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」の現実(矛盾)である。
(2021.7.29)