梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・25 

⑶古系譜の記法
【要点】
 多祖検出に必要と思われる主要な一二の記法についてみよう。
A 転移系譜 ある皇別または神別等の系が、いくつかの女家を転移しながら引かれる系譜であって、その系譜の特徴は、その各女家の名が系譜面に反映していることである。例えば、中臣氏系譜に宇佐津臣、伊香津臣とある。すべて招婿婚の結果として、子の生活の全部かまたは半分かが女家に依存(女家の財産、職業、居地等に依存)しているうちは、その子はその母家の氏名を負う定めである。
 この種の系譜の例は、(序章の)但馬氏系譜である。それには但馬と當麻との二つの女家が含まれている。それは日槍から引かれた系が但馬家より始まって當麻家へ転じている経路を示しているもので、要するに但馬氏より當麻氏への転移系譜に外ならない。
 次に天孫本紀の尾張氏系譜をみよう。この系譜は葛城と尾張の二氏を転移している。
【天火明命】・・①天香語山・・②天村雲・・③天忍人(葛木出石姫)・・天忍男(葛木土神女賀奈良知姫)・・④○津世襲(亦名、葛木彦)(尾張連祖)・・建額赤(葛木尾治置姫)・・⑤建筒草・・⑥建田背・・⑦建諸隅・・⑧倭得玉彦・・⑨弟彦・・⑩淡夜別(大海部直祖)・・⑪乎止輿(尾張大印岐女真敷刀婢)〈国造本紀、尾張国造〉・・⑫建稲種・・⑬尾綱根(賜尾治連)
 葛木土神というのは神武紀に見える剣根、葛木国造の初祖である。そのカバネは直、後、忌寸となる。火明命の裔天忍男は、この氏の女賀奈良知姫に娶って○津世襲を生んだ。天忍男の本居は不明である。しかし、その子○津世襲は母家にあり、しかも母家の職を襲ってその地の支配者となったことは、亦の名葛木彦の示すところである。(略)弟建額赤は同族の女に娶って建筒草を生んだ。建筒草は葛木厨直の祖である。直姓は葛木氏のカバネである。十一代乎止輿に至って、尾張の大稲置の女真敷刀婢に娶って建稲種を生んだ。これから尾張氏となる。かくのごとく、初め葛木土神の女によって葛木氏となり、次に尾張稲置の女によって尾張氏となるのは注意すべきで、この点、但馬氏の系譜と同種の記法である。葛木土神の女と婚する以前には葛木彦の名は見えていない。また、尾張大稲置の女と婚する以前に尾張氏の名もない。それゆえ、尾張氏の名は妻家によって得たもので、尾張国造は尾張大稲置の昇格であるとしか窺われない。総じて国造は大縣主、大稲置等の昇格であることが多い。


【感想】
 ここでは、天孫本紀の尾張氏系譜が図示されている。【天火明命】とは、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊の別名で、《天孫》とも言われている。その子が①天香語山(あまのかごやまのみこと)であり、その孫が②天村雲(あまのむらくものみこと)であり、さらにその曾孫が③天忍人(あまのおしひとのみこと)である。この人が、葛木出石姫と結婚、この人の弟、天忍男(あまのおしおのみこと)が葛木土神女賀奈良知姫と結婚して、④瀛津世襲命(おきつよそのみこと)[または葛木彦命(かずらきひこのみこと)]を生んだ。その甥が⑤建筒草であり、さらに③天忍人の曾孫⑥建田背へと引き継がれて行く。そのあたりの事情を、「天孫本紀」の現代語訳では以下のように記している。(日本古代史ファンサイト「天璽瑞宝」より抜粋引用)
●饒速日尊の孫・天村雲命(あまのむらくものみこと)この命は、阿俾良依姫(あひらよりひめ)を妻として、二男一女をお生みになった。
●三世孫・天忍人命(あまのおしひとのみこと)。
この命は異腹の妹の角屋姫(つぬやひめ)、またの名は葛木(かずらき)の出石姫(いずしひめ)を妻として、二男をお生みになった。
●次に天忍男命(あまのおしおのみこと)。
この命は葛木の国つ神・剣根命(つるぎねのみこと)の娘・賀奈良知姫(がならちひめ)を妻として、二男一女をお生みになった。
妹に忍日女命(おしひひめのみこと)。
●四世孫・瀛津世襲命(おきつよそのみこと)[または葛木彦命(かずらきひこのみこと)という。尾張連らの祖である。天忍男命の子。
この命は孝昭朝の御世、大連となってお仕えした。
●次に建額赤命(たけぬかあかのみこと)。
この命は葛城の尾治置姫(おわりのおきひめ)を妻として、一男を生んだ。
●同じく四世孫・天戸目命(あまのとめのみこと)。天忍人命の子である。
この命は葛木の避姫(さくひめ)を妻として二男をお生みになった。
●次に天忍男命(あまのおしおのみこと)。
大蝮壬生連(おおたじひみぶべのむらじ)らの祖である。
●五世孫・建箇草命(たけつつくさのみこと)
建額赤命の子。多治比連(たじひのむらじ)、津守連(つもりのむらじ)、若倭部連(わかやまとべのむらじ)、葛木厨直(かずらきのみくりやのむらじ)の祖である。
●同じく五世孫・建斗米命(たけとめのみこと)。天戸目命の子である。
この命は、紀伊国造の智名曽(ちなそ)の妹の中名草姫(なかつなくさひめ)を妻として、六男一女をお生みになった。
●六世孫・建田背命(たけたせのみこと)。
神服連(かむはとりのむらじ)、海部直(あまべのあたい)、丹波国造(たにはのくにのみやつこ)、但馬国造(たじまのくにのみやつこ)らの祖である。
(以下略)
以上から、天孫の曾孫の天忍人と天忍男が葛木の出石姫と奈良知姫と結婚して、その子等が尾張連の祖になった、ということはわかるが、「女系社会」の実態や、相続の方法については、まだわからない。また、当時の人名には、居地、職業、身分、続柄等が含まれており、他人と区別するための文字は一つ二つに過ぎないのではないか、と思った。だとすれば、その人名からどのような「人物」かを想像することも興味深い。また同一人物なのに複数の呼び名をもつ習慣があったことも現代に通じている、と思った。
(2019.12.14)