梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・22

《同系の多祖》
【要点】
 (前節によって)中央の支配諸族が、しきりに諸地方の族または諸蕃系と相交わって、祖変を起こさしめ、自祖下に結合せんとする氏作りの現象を見たが、この場合の婚姻工作を如実に反映するものに、同系多祖がある。同系多祖とは、一腹の兄弟がそろって同じ名の某氏の祖と称している場合、あるいは同系の氏人が一代二代と続けて右同様某氏の祖である場合をいう。次に一二の例を挙げよう。
 山城神別今木連は饒速日命七世孫大売布命の後であるが、天孫本紀物部氏系譜によると、同命十四世孫物部今木金弓若子連公今木連祖、同命十五世孫物部石弓若子連今木連祖、同命十六世孫物部耳連公今木連祖、同命十六世孫物部金弓連公今木連祖と見え、同系5人が相前後して今木連の祖となっている。これを図示すれば、
【饒速日尊】・・①宇摩志麻治命・・②彦湯支命・・③出石心大臣命・・④大谷口宿禰・・⑤大綜杵命・・⑥伊香色雄命・・⑦十千根命(⑦大○布命)・・⑧憺昨・・⑨五十琴・・⑩伊呂弗・・⑪目(⑪布都久留)・・⑫荒山(⑫木蓮子)・・⑬尾輿(⑬麻佐良)・・⑭太市御狩(⑭守屋)(⑭今木金弓若子)(⑭〇鹿火)・・⑮大人(⑮雄君)(⑮石弓)・・⑯耳(⑯金弓)《今木連祖》
 今木の称は雄略年紀に出ている今来才伎、または新(イマキ)漢陶部等と同じく、新来の帰化族の意である。大和高市郡の別称を今木というのは、この郡がこれら帰化族の群居地であるからであって、山城宇治郡の今木もこの族の移住地であろう。今木氏は物部系の外にも、神魂命五世阿麻乃西乎乃命、開化皇子建豊羽頬別命の二祖を奉じているが、元系は今木村主氏であろうと思われる。
 されば、物部氏の5人がともにこの族の祖となったことは、婚姻の結果であって、その五者が各自に今木連なる新氏を創めたわけでは、もちろんない。だいたい、5人もの同系の氏人が、ある同じ氏の祖先であるなどということは、断じて正常の系譜では考え得ない現象であるが、従来の史家はおそらく不可解のままで看過するを常としたのではあるまいか。
 佐為連は、録に饒速日命伊香我色雄命を祖とするもの二氏、同神八世物部牟伎利足尼を祖とするもの一氏、同神十世伊己止足尼を祖とするもの一氏で、都合4氏が同系多祖をなしているが、この他に、同神十世物部石持連公、十一世物部御辞連公もともに作為連の祖であると記されている。榎井氏は、饒速日命四世大谷口根大臣命、同神十六世物部弓梓連公、同物部加佐夫連公、同物部荒猪連公、同物部多都彦連公の同系五者を祖としている。坂上氏系図所引姓氏録に、榎井猪忌寸があるのが、この氏の元系の母族であろう。
(略)
 異系の多祖に比べると、文献的にははるかに少数であるが、実際にはこの種の型は非常に多かったと思われる。なぜなら、新来の族または有利な族に向かって、婚姻政策を集中することは、当時としては絶対に必要であったと想像されるからである。


【感想】
 ここでは、同系の多祖について述べられている。同系の多祖とは「一腹の兄弟がそろって同じ名の某氏の祖と称している場合、あるいは同系の氏人が一代二代と続けて右同様某氏の祖である場合をいう」ということである。つまり、同じ母から生まれた兄弟が、いずれも《同じ名》の氏を祖としている場合のことだ。
 現代では、兄弟の先祖は《同じ》だという考えは、ごくあたりまえに受け入れられるが、母系制社会においては「断じて正常の系譜では考え得ない現象である」と、著者は述べている。当時は、婿入婚であり、同じ母から生まれた兄弟でも、結婚すれば、妻の姓を名乗ったのだろうか。それとも母の姓を名乗ったのだろうか。大化の改新以後は、父の姓を名乗るように改められたそうだが、そもそも系譜とは「自分は誰の子か」を明らかにするためのものだろう。母の子でもあり、父の子でもある。それを一人に限定しなければならないとしたら、どちらを採るか。母系社会においては母、また祖母、さらに曾祖母・・・、父系社会においては父、また祖父、さらに曾祖父・・・、というように先祖を辿っていくと、どこに行き着くか。
 著者は多くの系譜を研究しているので、同系多祖を「正常の系譜」では考えられない現象と断じているが、では「正常の系譜」とはどのようなものか、知りたい。次節の「異系の多祖」がそれに該当するのだろうか。
(2019.12.6)