梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・20

【要点】
《祖の並存》
 没祖に対して、ある氏族が、二祖以上の祖を並存していることがある。前項丹波氏にも、開化三皇子の系が並存した。
 祖の選択条件は、名祖を得るにあるから、同時に多くの名祖を得た家では、いずれの名祖も愛惜のあまり、ここに並存の事態を生ずるわけである。この場合にも、氏名は一で、出自のみ異なることが通例である。氏名に母系を守るのは何故かというに、氏名は財産、職業、居地等に依存するもので、生活条件に既定せられるものだからである。この段階では、父系はまだその威力を全面的にはあらわさず、大化改新の時、父氏に附かしめる規則となったが、それは班田法と相俟って可能となったのであろう。


《第四節 多祖》
《多祖の定義》
 多祖とは何か。母系形態の内部における父祖追及の芽生えをいう。いいかえれば、母族が、その族中に所生した子等を通じて、その各々の父祖を追及し、把握する現象である。この時、最小限度においてすらもその母族は二祖を有するのである。その一は母族自身の固有の祖であり、その二は母族がある一人の婿を招いて所生した子の祖である。 
 前節祖の変化に見た祖の没失、祖の並存の二様式は、すなわち一は時間的の意味における多祖現象であり、一は空間的な意味における多祖現象である。要するに正常の系譜は、父系母系を問わず一祖多氏の流であるが、ここでは逆に一氏多祖となる。
 わが国上代におけるこの奇異な系譜事情は、母系系譜の内部より父系系譜を誕生せんとする過渡時代の一般的的表現であることを意味している。
《多祖発生の要因》
 この問題はより多く経済事情に起因すると思われるので、この点については経済史ないしは社会史方面の援助に俟たねばならない。
 ただ一般的に観察されることは、わが国上代においては祭壇を中心として名跡相続が行われた。従って、その相続者としては、司祭者に適する有徳有能な人物が同族の中から選挙せられるのを原則としたであろうことは、序章第一節中の御祖と氏神條の阿蘇姫彦神によっても窺われよう。姫彦相続は親子継承ではなく、血族間の適者が選出されてこれに当たったらしい。しかし、斎物の収受が司祭者の私有財産と変じた頃から、彦職の父子相続が顕著となり、かくて、これに対応して、子の側から父祖追及の要求が生じたのであろう。これが要因の第一であろうと思うが、この問題は允恭紀、継体紀、孝徳紀等に見える氏姓紛争とも不離の関係にある。要するに、名祖を獲得することは、名跡の相続、地位の向上等の上に勢力を加える所以で、諸蕃や、蝦夷、隼人等が皇別祖、神別祖を芋蔓式に獲得する現象などは、一般大衆の中における這間の消息を如実に類推せしめるに足るものであろうと思われる。大化前後には、すでに部民の間にも祖変が及んでおり、氏姓紛争を惹起する一方、祖変を契機として部民の境遇を脱し、国造に昇格したらしい一二例も見られる。
 和銅2年6月紀に、筑前国御笠郡大領宗形部堅牛なる者が益城連への改名を許されているが、思うに部曲制時代は改名容易ではなく、部名を称したままで国造の任にあったらしく、同紀には、嶋郡少領中臣部加比に中臣志斐連を賜うともある。これも部民出身の国造であったらしい。
 要するに、名祖への変化は、多かれ少なかれ何らかの利益をもたらしたのであって、これが多祖の発生を促し、助長した要因であると考えられる。そして、多祖発生の外郭的条件が、招婿婚にあることはいうまでもない。


*注:「国造」
大和朝廷の地方官。〈こくぞう〉ともいう。初め各地方の〈くに〉の支配者であったが,国家統一後は地方官として制度化された。当時の〈くに〉はほぼ後世の郡に当たる広さで,国造は大化改新後おおむね郡司となった。改新後は郡の上に国が置かれたが,天武期にはこの国ごとに1人の新国造を置き,旧国造のもっていた司祭権を掌握させた。
(「百科事典マイペディア」より引用)


【感想】
 ここでは、多祖の定義と、多祖発生の要因について述べられている。多祖とは、母系社会の母家の娘に婿が入り、その子が母家の氏名を名のりながら、出自を父祖に求めるということである。著者は「正常の系譜は、父系母系を問わず一祖多氏の流であるが、ここではすでに一氏多祖となる」と記し、正常の祖氏関係として、A氏、B氏、C氏、D氏が「祖」に収斂されていく図を示し、多祖的祖氏関係として、「氏」からA祖、B祖、C祖、D祖に枝分かれしていく図を示している。
 要するに、一つの氏族の中に、複数の婿が入り込むことによって、多くの父祖が生まれるということである。
 その要因は、経済事情によるだろうと推測しているが、詳細は経済史、社会史的側面から明らかにされなければ分からないということである。
 ただ、出自を父祖に変化させることで、その氏族に何らかの利益がもたらされたのであろうと、著者は推測している。(2019.11.28)