梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国技・大相撲」の《終焉》

 〈大相撲九州場所14日目(23日、福岡国際センター)
 白鵬が関脇御嶽海を外掛けで仕留めて13勝1敗とし、4場所ぶり43度目の優勝を果たした。御嶽海は負け越し。貴景勝は阿炎に送り出されて5敗となった。〉(時事ドットコムニュース記事より引用)
 ということで、「国技・大相撲」は《確実に》終焉を迎えた、と私は思う。この記事をよく見ると、御嶽海には関脇という番付が付けられているのに、なぜか白鵬には横綱という名称がない。「言わずもがな」だからか、それとも「横綱」と呼ぶには《憚れる》何かがあるのか・・・。いずれにせよ、43回の優勝記録は前人未踏、平成の「名横綱」として歴史に名を刻む快挙であるはずだ。だがしかし、私はそのことに同意できない。それは「白鵬が日本人ではなかった」からではない。・・私は民族主義者ではない・・。今では日本国籍を取得し、晴れて日本人になっている。理由はただ一点、彼の「取り口」が、横綱としての風格を欠いているからである。すでに取り沙汰されて久しいが、相手が手強いと見ると「かち上げ」「張り手」を平気で使う。立ち合いで逃げることも辞さない。さらに言えば、立ち合い前の「塩」の時、呼び出しから手渡されたタオルで、上半身の「汗」を十分に拭きとらない(ことが目立つ)。結果、たいていは、彼の胸元から腹にかけて汗が光っている。(かつて同郷の玉鷲が「あの汗、何とかならないか」と嘆いたことがあったが・・・、その声は誰にも届かない)要するに、彼は「勝つために」相撲を取る。手段を選ばないのである。もちろん「それでも(勝てば)よいではないか」という意見があるだろう。しかし、「国技・大相撲」を支える《相撲道》の精神には反する。「今さら、古い、古い」と言われればそれまでの話だが、白鵬の風格は所詮「よくて関脇、小結級」、にもかかわらず2007年以来12年間も横綱を締めているということは、「その地位を守る」ことにだけに専念しているからであろう。体調不良の時は「休場」し、他の横綱に「負担」を預けるのも常套手段、その効あって稀勢の里は引退、同郷の鶴竜と「同行二人」となった。要するに、白鵬は「ただ在位期間最長をめざすだけの」横綱に過ぎなかった。そして今後は「親方」として、「自分を見倣え」と同様の力士を養成するに違いない。さればこそ、(相撲道と無縁となった)「国技・大相撲」は《確実に》終焉を迎えたのである。・・私は武士道を標榜する国粋主義者ではない・・。
 そういえば、政治の世界でも「憲政史上最長を誇る内閣」があった。その首相の「手口」も五十歩百歩・・・。「ただ在位期間最長をめざすだけの」総理大臣が、「ただ在位期間最長をめざすだけの」横綱に《優勝杯》(内閣総理大臣杯)を授ける図は、まさに「同じ穴の狢」、千秋楽唯一の「名(迷)場面」になるだろう。
(2019.11.24)