梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・18

【要点】
《第三節 祖の変化》
《父祖の誕生》
 父祖の誕生に関する諸事情を知ることは難しい。私に可能なのは、系譜上よりの限られた観察に過ぎない。
 姓氏録1180氏は、すべて一律に父祖を戴いているが如くである。しかしながら、それが必ずしも遡りうる最古の始祖ではなく、また、全部が父祖なるかも疑わしい。思うに、系譜上においては、父祖は一律には誕生していない。それは重要な関心事たるべきである。かかる現象はその背後にただちに接続している異種の系譜の存在を明示しているだけでなく、両者の関係が切断されていないこと、有機的な事情にあることを物語っている。例えば、巻頭の皇別息長氏が、その父祖を得る以前すでにはやく氏をなしていたことは興味がある。ここでは、父祖の誕生は氏の形成よりもはるかに後であったのである。かかる例は決して異例ではない。録の編纂は、後人の眼には、いかにも奇異な、あまりにも露骨な仮冒的出自が多い。秦始皇帝の裔たる秦忌寸が、饒速日命の後と称し、編者はこれに神別の席を与えている。要するに、父祖は氏を母胎として誕生したのであって、父祖から氏が作られたわけではない。氏は父祖に先行した、これがわが上古の特異な系譜的事情である。
《祖の選択》
 氏が父祖に先行しており、その母胎の上に父祖の誕生が予定されるとすれば、氏は良祖を生むことに努力するであろう。ここにある種の選択が行われるのは自然である。
 元来、氏が父祖を誕生するという状態は、母家単位社会における必然事である。氏というのは母家の氏である。父祖はこの母家の氏を温床として誕生したのである。
 その第一歩は、母家の内部から父および父の祖先を追求する自覚の芽生えることにある。それが芽生えてある程度の成長を遂げたとすれば、あらゆる母家は、各世代毎に、数多の異祖を誕生するであろう。なぜなら、各母家は世代毎に多くの異祖の婿を招くわけであるから、その婿によって生まれた子が、各々父の祖を奉ずることになれば、甚だしい異祖群の出現となる。
 そこで祖の選択が可能となるのである。例えば、名祖族より婿を得たならば、その所生の子に随従して、氏族全部が芋づる式に祖変する場合があるし、反対に名祖族では、より優等な族からの婿入りがない限り祖変を起こさない方針を取ることもある。要するに、無名貧弱な婿は黙殺され、その婿の子らは父の出自に従わないというような選択法が行われるのである。
 河内皇別額田首は、父氏に附かず、名族蘇我の一族たる出自を固守している。かかる事情は中古にも遺存しており、承和6年9月紀、仁壽2年12月紀などに、卑姓である父氏に附かず、母方の出自によって賜氏された例がある。(滋野朝臣の出自を父氏宗像ではなく、名草氏にしている)
 中古に至ってすらかくの如くである。ましてそれ以前における父氏出自への変化は、いうまでもなく、その時々の都合主義によったもので、名祖を戴く氏は比較的祖変を生ぜず、それと反対に低位の氏は名祖族との婚姻を機縁として、固有の祖を棄却し、祖変を生起したのであるが、その祖変には、大体二様がある。次に述べよう。


【感想】
 父祖とは一般に「ご先祖様」などといわれ、父や祖父のことだが、その前、その前とどこまでも遡っていくと、最後はどこに辿りつくか。それを図示したものが系図であり、記録したものが系譜である。ブリタニカ国際百科事典では、系譜について以下のように説明されている。
 〈親子関係の連鎖をさし,またはそれを記録した図や文書をいう。通常は,父子関係あるいは母子関係のいずれかを単系的にたどるのが特徴であり,その世代深度の深さとか,特定の人物との関係を誇示したりすることに用いられている。特定の祖先を共有する出自集団にも,系譜関係の明確なリニージと,系譜関係が明確でなくただ信じられているだけの氏族の区分がある。〉
 ここでは、父子関係あるいは母子関係のいずれかを《単系的にたどるのが特徴》とされており、著者のいう「父祖」とは、父子関係を単系的にたどった場合の始祖のことだろう。ただし、それは母子関係を単系的にたどった場合の氏を母胎として誕生したのであり、父母の出自を比べて、父の氏が卑姓(低位)の場合は、母の氏を名乗り続けたということである。
 現代では、父系制(夫婦単位・嫁入婚)の「家族制度」が定着しており、(戦前までは婚姻に当たって「家柄」「血筋」などを重視する風潮もあったが)、夫婦別姓、同性婚までもが容認されそうな気配も濃厚である。そんな折り、かつての「母系制氏族」とはどのようなものだったのか、興味は尽きない。 (2019.11.21)