梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・14

《戸の内部事情》
【要点】
 令集解に「一戸之内縦有十家以戸為限不計家多少」とあって、当時の戸は、その内部に1個ないし数個の家を包含しているが、戸籍面では全家を1団としたものが多い。初期の大宝2年籍では、法制上の1戸を一纏めとして班田、課口の決定をしていたが、養老以後では、戸主のいる家を郷戸と称し、その他の家を房戸と称するに至った。
 注意すべきは、房戸の長と郷戸の戸主とに異氏姓者が多いことで、太田亮は、天平12年浜名郡輸租帳中、房戸40の中、郷戸の戸主と氏姓を異にする者が13に及び、さらに山城計帳と思われる天平年間の文書には、房戸9のうち5まで戸主と氏姓を異にしている等の例について「これらは櫟井朝臣牛甘、鰐部連白刀自売等の如きもので・・」といい、其氏の娘の腹から生まれた者やその子孫が、積もり積もってこれらの異氏姓房戸となったのかもしれないと見ている。   
 私もこの所見に賛するもので、この現象は、同族者から世代ごとに異氏姓者を派生する現象である。これは一氏から多祖を派生する過程と同事情にあるのであって、ただ違うところは、前者はより多く大化改新以後の現象であり、後者は以前の事跡に属するであろうことである。
 これを図解すれば、
呉原族・・・呉原忌寸刀自売・・・櫟井朝臣牛甘(三十歳)    
             ・・・櫟井朝臣刀自売(三十六歳)
             ・・・櫟井朝臣奈等女(三十歳)
   ・・・呉原忌寸黒売・・・・鰐部連白刀自売(三十七歳)
 これは呉原族から櫟井朝臣氏、鰐部連氏の2氏姓を派生しているもので、この2氏姓が、さらに各々の子女(刀自売、奈等女、白刀自売からは、さらに3個以上の別氏姓が派生される可能性がある)を殖やしたものが積もり重なって幾つかの異氏姓群を生じ、それが各氏姓別、あるいは二三異氏姓を合籍したままで房戸を構えるに至ったものが、すなわち同一戸の内部における異氏姓房戸の存在の由来である。
(略)
 当時の戸籍計帳を検するに、その最も大なる特徴は、一戸の中、及び戸内の小戸の末に至るまで、驚くべき異氏姓者群の雑居を見ることである。この多くの異氏姓を包含する戸内族は、おそらく改新以前の部曲経済社会にあっては、単一氏名を称して共同生活をつづけた同族であったが、改新後、子の所属に対する革新的制度が起こり、子等はすべて父氏の氏名を称することとなり、氏名のみを父氏に変化せしめ、実際は母族に属するという二重的生活を生じ、ここに戸内氏姓の複雑相を生起するに至ったものである。
 されば、大化改新後の戸の内部には、⑴家族制度の発現である夫妻及び父子の同居の芽生え、⑵氏族制度の遺存である女系継承と異氏姓派生。この二種の制度が併存したのである。
●大宝2年御野国来栖太里戸籍 中政戸漢部目速戸口18
下中戸主目速 年五十八 正丁
嫡子阿屋麻呂 年廿八 兵士
次大伴 年十七 少丁    
次廣 年十一 小子
戸主甥漢人佐居 年廿八 兵士
次佐加田 年十九 少丁 
戸主妻佐比部阿根売 年卅二 正女  児麻利売 年十四 少女
次姉売 年四 少女
戸主妹刀自売 年卅六 正女
次奈井売 年廿七 正女
児麻続部意止売 年一 緑女
佐居母漢部姉虫売 年卅二 正女
児小比佐売 年十九 少女
次千売 年十一 少女
戸主姪都売 年十九 少女
児物部刀自売 年一 緑女
佐居奴石麻呂 年廿八 正奴
 この族は、漢部氏、漢人氏、佐比部氏、麻続部氏、物部氏の五氏姓を抱合している。この中、漢人氏の母は戸主の妹で、麻続部氏の母も同じく妹、物部氏の母は戸主の姪であるから、これも妹の女であろうか。以上三氏姓はすべて女系派生である。残る一つ佐比部氏は戸主の妻であって、この妻は同居しているらしい。夫婦の間には、三男二女が生まれて同居している。すなわち家族の発生である。この外に、戸主の妹で36歳の独身者がある。独身者という点では戸主嫡子、戸主甥の28歳も注目される。
 異氏姓抱合、女系継承、家族発生、長年者独身、これらの諸現象の中にこそ、当時の戸内における家族発現、氏族遺存の二重性が見られるのであって、大化改新後の族制を形作る根幹的な実相が、すなわちこれであるといってよいのである。
 しかるに、支配形態としての家族制度は、徐々と、遺存形態たる氏族制度を分離しつつあった。初期の戸籍に見えなかった房戸の制が、郷戸との区別において出現したことは、戸内の異氏性群あるいは異系群のそれぞれの帰趨を示すものであるとともに、家族制度的な分化への段階でもあった。
 それは当時の社会の必至的な趨勢であり、戸内の事情はかくして漸次推移しつつあった。
《結語・・二重族制》
 大化改新後の家族制について、これまで見てきたことを、一言に要約すれば、上代日本における二重族制ということである。すなわち、婚姻制にあっては、母親単位の婿入婚、ここには、母家氏性継承を根基としての父祖出自への変更という二重現象が現れる。つまり、氏姓に母系を保存し、出自に父祖を称する類の二重表現の現象である。次に孝徳天皇の詔によってその時代を察するに、「父子易姓、兄弟異宗、夫婦殊名」というが如き、矛盾相の地獄絵巻である。社会の要求がここでは強く両族制の一転機を促している。次に起こった大化改新後の社会、しかし、ここでも未だ二重性は離れない。子の所属は父系と母系相半ばし、妻の所属はなお一層母家への執着を示している。戸の内部における二重性は、戸内に異氏姓を派生する起因となり、郷戸と房戸の分離となる。以上の如き二重性の上に、わが上代氏姓は立っているから、出自と姓に父氏を現し、氏名のみに母氏を頑守し、あるいは父母両系を調和表現し、あるいは多祖を生起する等の種々相を呈している。
 その集大成が本書の主要資料たる姓氏録であり、それを徹底的に検出考証して、母系遺存の事情を明らかならしむることが、本書の主たる目的である。


【感想】
 ここでは、戸の内部事情として、家族発現、氏族遺存の二重性が見られることが明らかにされている。これまで母家単位の母系制の社会であったものが、大化の改新後、父家単位の父系制へ転換が試みられたが、それが完成するためには相当の時間が必要であり、奈良時代、平安時代までは母系制が根強く残存していたということだろうか。 
 いずれにせよ、著者が示した「前置き」の《序章》は終わった。次からはいよいよ《本論 第一章》が始まる。実に楽しみだ。(2019.11.9)