梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・8

第二節 孝徳天皇の詔を通して窺われる当時の一般族制
【要点】
・孝徳天皇の詔中、直接族制に関係あるものは、大化元年紀の男女之法、同二年紀の妻妾の関する件、及び同紀八月條に見えている部曲制廃止のそれである。この中、当時の一般族制を最もよく窺わしめるものとして、最後の部曲廃止の詔を、ここに考察してみたいと思う。
《部曲廃止の詔》
(略)
 まづ文中「父子易姓、兄弟異宗、夫婦更互殊名」とあるに対して、書紀集解は「譬父則為誉津部之民而負誉津部而子則為武部之民負武部兄弟夫婦互如此異矣」と解している。すなわち、父子、兄弟、夫婦がその氏称を異にしているという意味に見ているのであって、記伝にも「夫婦殊名とあるは姓を異にすると云わむが如し」とあるから、宣長も同じ意に解しているのであるが、夫婦が姓を異にするのは日本も支那も同様であって、支那の制を継受した大化改新の思想が、この点に懐疑をもつはずがなく、改新以後の戸籍面にも夫婦異姓はむしろ原則であるから、この詔の「夫婦殊名」は夫婦姓を異にするの意ではなく、夫婦族を異にするの意と解すべきであろう。ここに注意すべきは、夫婦が族を異にすることを悖理であるとする思想は夫婦を以て族制の単位とする家族制度の思想であることである。これに反して氏族制度にあっては夫婦は同族ではなく異族である。大化改新以後にあっても、氏族の成員としての見地からは夫婦は異族と見られたのであって、例えば氏姓を賜うのに夫に賜う氏姓は夫の氏族のみが同じくこれにあずかって妻はあずからず、妻に賜う氏姓も妻の氏族のみがこれを継ぐ権利があり夫は無関係であった。されば「夫婦殊名云々」は、家族制度の思想によって旧俗を照らし、その悖理性を指摘したものと解すべきであり、「父子易姓、兄弟異宗」の意も、また同じ見地から解釈すべきが至当であると思うのである。
 「父子易姓」の俗は、母子同姓の反面であって、母家単位の系譜にあっては、母子同姓(同氏名)である一方、父と子の異姓(異氏名)である事実はむしろ普通である。一部貴族の間にのみ母の氏名を棄てて父の名に付くことも行われていたと見るべきであるが、それすら、物部弓削の守屋というように、父母両氏を併称する場合も多く、また時としては単に、弓削大連守屋と母氏名のみを称する習慣もなお残っていたのである。蘇我蝦夷が物部大臣と称したのも同じ理由による。貴族ですらもかくのごときであるから、一般大衆にあっては、詔に見える通り、父子がその氏名を異にしていたであろうことは想像に難くない。 
 次に「兄弟異宗」は、兄弟にして出自または宗教を異にすると云うのであるが、これは当時の社会としては、異母の兄弟の場合当然起こることである。異母の兄弟はすなわち同父の兄弟であるが、上代にあっては同父の兄弟姉妹があたかも相異なる族かのごとく考えられていたことは、同父兄弟姉妹の相思が何らの嫌悪をも伴わなかった一事によっても窺われる。これに反して同時代の同母兄弟姉妹の相思は厳に禁じられこれに重罪を課したことは史上明らかな事実である。魏志の倭人條に'「同姓不婚」と見えているが、この同姓とは、右の場合の後者の如きを云うのである。
 いずれにもせよ、この詔は父子易姓、兄弟異宗、夫婦殊名という状態が、大化改新当時における族制上の一般の状態であったことを明示しているのである。次にすすんで、そのために「さかんに紛争が起きた」理由を考えてみよう。


【感想】
・著者は日本書紀にある孝徳天皇の詔の「父子易姓、兄弟異宗、夫婦殊名」という文言に注目して、当時が母家単位の母系社会であったことを考察している。まず「父子易姓、兄弟異宗、夫婦殊名」を現代語に訳すと「父子で姓が変わり、兄弟で宗家と名前が異なっていたり、夫婦が互いに名前が違っている」(「サイト「日本神話・神社」の記事より引用)となる。つまり、当時の社会では、父が蘇我であっても子は蘇我ではなく、兄弟であっても出自や宗教が異なり、夫婦であっても「族を異にする」。そして著者は、「夫婦殊名」を、夫婦が「姓を異にする」のではなく「族を異にする」と解釈すべきだと強調している。双方の違いが私にはよくわからなかったが、母系制社会では、夫と妻はあくまでも「他人同士」(同族・親族・家族ではない)ということかもしれない。子どもはあくまで母の産物であり、母の氏姓を名乗る、従って父子の姓は異なるのである。また、父を同じくする異母兄弟姉妹も「他人同士」であり、「相思」(恋愛・結婚)が許される。一方、母を同じくする異父兄弟姉妹は親類(同族・親族・家族)であり、「相思」は禁止され、これを犯した場合は重罪となった。
・父系社会と母系社会を比べて、どちらが自然か、即断はできない。母系社会にどのような問題が潜んでいるのか、実に興味深い。(2019.10.27)