梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・4

【要点】
第三章 本書の材料
・本書の研究に用いた史料はこれを二つに分けることができる。その一は新撰姓氏録であり、その二は凡そ中古以前の全文献より右の姓氏録中心の氏族に関する系譜的記録を採集したものである。
第一節 新撰姓氏録
《姓氏録の史料的価値》
・平田篤胤が、古史徴開題記に、「記紀二典の事実よく明に知らむと欲するには、古き諸氏の出自をよく明めずては得明めかたき事多かり。それは神あり人ありて後に事実の伝あり、然れば神と人とは本にして事実は末なり、諸氏を明むる学びはその神人の出自を知る学なれば、これをよく明にせすては事実の混乱を知ること能はず、事実の混乱をよく明にせされば道の閫奥を知ること能はされはなり。斯くて上の二典は、天皇の大御系統はよく明に知られるとも、臣連八十友緒の諸氏の出自を明らかに知ること能はず、それを知る書は新撰姓氏録になお有ける。故二典に並びて、此の録を熟く明むるぞ古学の要旨とある学問なりける。」と言っているのは妥当であると思う。
(略)
・姓氏録のことは三代実録貞観十四年條等にその名が見え、史書としての価値を疑うものはなく、篤胤をまつまでもなく記紀につぐ有力な古代史料であるが、ただこれが直接の研究はあまり行われておらず、わずかに先に細井貞雄の姓氏考が見え、後に粟田寛の新撰姓氏録考証二十一巻が挙げられるに過ぎない。
・氏数については、篤胤は1177氏を挙げ、上表並びに序文の1182氏と合わないことを言っているが、寛の考証本はだいたい橋本稲彦の訂正本(1181氏を載す)に拠り、訂正本の(略)大石林氏を生かして82氏となし、(略)古今要覧稿本は(略)都賀直なるものを立てて同じく82氏をなしている。これらは伝写の間に錯乱を来たし、諸本多少の異動を見るのであろう。現存の姓氏録は上表並びに序文と照合する時、たとえ抄本とするも、その本文の主要部分のみ失われずにあるものと考えることを得るのである。
《底本》
・私は屋代弘賢の古今要覧稿本、粟田寛の考証本、稲彦の訂正本、松下見林本について本文を校合して用いた。姓氏録の印本で最も古いのは寛文8年の白井宗因本である。古今要覧稿本はこれを底本とし、和学所本その他の異本をもって諸本中最も多く校合に努めている。松下見林本は翌9年の板行で、後序に藤原朝臣定房これを蔵す(略)とある。比較的善本とされるのは本居宣長の書入本を底本とし、録注三十巻の著があるという内山真龍の説等を引く上田百樹の書入を参酌して作った文化4年の訂正本(略)である。
・考証本はこの訂正新撰姓氏録に、彰考本及び白井本松下本を参照し、また細井貞雄の説を引くことも多いのであるが、著者の独断によって、記載氏の順序を換え、姓を更め、本文の一部を削除補足し、欠字を埋め、世数を変ずる等、そのまま単独に用いるには少なからず危険を伴う書である。(略) 
・私はだいたい訂正本によったが、最も多く古今要覧稿本及びその校合を参酌した。
第二節 その他の史料
・姓氏録以外の史料としては、日本書紀以下の国史並びに古事記、風土記、古語拾遺、令集解、正倉院文書、その他諸氏の氏文、本系帳、系図の類が主たるものであるが、なお大体は巻首に引用書目として挙げてあるものがそれである。(略)
第三節 氏別表
・私は以上の文献からカードを取り、これを整理して氏別表を作製した。これが本書の基礎的材料であって、私としてはこの調査に最も多くの年月と労力を費やした。
・氏別表の各氏は、㈠出自、㈡複氏、㈢賜氏、㈣賜姓、㈤諸姓、㈥氏人、㈦本郷及び分布等の諸項目から成り、主として㈠は第一章祖と母系、㈡は第二章氏と母系、㈣㈤は第三章姓と母系、㈢㈣㈤は第四章賜氏姓と母系の各論を援けるものである。当初、この表をも史料集として巻末に添えるつもりであったが、余りに厖大なるため割愛せざるを得なかったのは残念である。なお、氏別表のほかにも、諸種の付属的な表題・・たとえば、祖別表、同祖表、姓別表、国造表等を作って参考とした。


【感想】
・ここでは著者が研究に使った史料について説明されている。その一は「新撰姓氏録」、その二は「日本書紀以下の国史並びに古事記、風土記、古語拾遺、令集解、正倉院文書、その他諸氏の氏文」である。私は今、初めて「新撰姓氏録」という書物があることを知ったが、日本書紀や古事記と比べて、ほとんど知られていない書物ではないだろうか。
・ウィキペディア百科事典によれば「平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑」であり、その概要は以下の通りである。 
〈京および畿内に住む1182氏を、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにし、氏名(うじな)の由来、分岐の様子などを記述するものであるが、主として氏族の改賜姓が正確かどうかを判別するために編まれたものである。後述するように、記載氏族が限られているとはいえ、日本古代氏族あるいは日本古代史全般の研究に欠かせない史料である。現存する『新撰姓氏録』は、目録だけの抄記(抜き書き)であって本文は残っていないが、所々にその残滓が認められるとともに、若干の逸文が知られている。なお、本書の対象とする範囲は京(左京・右京)と五畿内に住む姓氏に限られており、また「序」にはそれすらも過半が登載されていないと記している。なお、書名に「新撰」とつくのは、企画倒れで終わった『氏族志』のやりなおしという意味であって、『新撰姓氏録』以前に『姓氏録』なる書が存在していたわけではない。
 さらに、「皇別」とは、〈神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族のことで、335氏が挙げられている。代表的なものは、清原、橘、源などがある。皇別氏族は、さらに、皇親(「真人」の姓(カバネ)をもつ氏族)とそれ以外の姓をもつ氏族に分かれる。〉、「神別」とは
〈神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族のことで、404氏が挙げられている。神別姓氏は、さらに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した際に付き随った神々の子孫を「天神」とし、瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫を「天孫」とし、天孫降臨以前から土着していた神々の子孫を「地祇」として3分類している。「天神」に分類された姓氏は藤原、大中臣など246氏、「天孫」は尾張、出雲など128氏(隼人系の氏族は天孫に分類される。)、「地祇」は安曇、弓削など30氏がある。〉、「諸蕃」とは 〈渡来人系の氏族で、秦、大蔵など326氏が挙げられている。諸蕃氏族は、さらに5分類され、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「加羅」として9氏、「漢」として163氏それぞれ挙げられる。また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。〉という説明もあった。(ウィキペディア百科事典より引用)
・著者はその書物及びその他の書物から、カード整理を行い「氏別表」を作製したという。その一部でもぜひ拝見したいと思ったが割愛されていて、私も残念である。
・また、ここに記されている ㈡複氏、㈢賜氏、㈣賜姓、㈤諸姓、㈥氏人などという語句を目にするのも初めてであり、それぞれどのような意味があるのか、興味は増すばかりである。(2019.10.16)