梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「参《愚》院」

 賢者と愚者の数はどちらが多いか。いうまでもなく愚者の方であろう。だから、選挙では愚者(選挙民)を大切にし、彼らの「清き一票」をできるだけ多く掠め取らなければならない。愚者は煩悩の塊であり、特に、欲望は無限である。それゆえ、立候補者(被選挙民)は、愚者の欲望を駆り立て、甘い汁(公約という)を目の前にちらつかせる。時には、実際に甘い汁を吸わせることもある(公職選挙法違反)。
 では、立候補者は賢者か愚者か。中には賢者がいるかもしれない。でも、外貌からはわからない。民主主義は「衆愚政治の典型」ともいわれるので、愚者が立候補し、その愚者を愚者が選ぶという構図が、真実に近いのではないか。直近(6月)の政党支持率は、与党の自民党27.7%、公明党2.6%で合計30.3%、野党の立憲民主党3.3%、国民民主党0.6%、共産党1.8%、日本維新の会1.2%、社民党0.3%、合計7.2%である。要するに与党は30%、野党は7%、圧倒的多数は「支持政党なし」の59%ということだ。つまり、現代の政党政治家は国民の6割近くから見放され、不支持という評価を受けていることになる。だとすれば、その「支持政党なし」の中に賢者がいるかもしれない。賢者は決して目立たない。自慢しない。自己顕示よりも自己研鑽に励み、誰よりも謙虚だから。賢者は、参議院が「良識の府」であることを知っている。議員は「党議に拘束されない」ことを知っている。衆議院が「衆《愚》院」にならぬよう「抑制・均衡・補完」を図らねばならないことを知っている。そして、賢者(たち)は今回もまた、被選挙民として立候補することはないだろう。
 かくて改選後の参議院もまた、限りなく「参《愚》院」に近づくのである。蛇足だが、以上のような御託を並べる私自身は、もちろん愚者の一人である。
(2019.7.8)