梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「洲崎パラダイス赤信号」(監督・川島雄三・1956年)

 この映画のあらすじ(「映画.com」https://eiga.com/movie/37351/より引用)は以下のとおりである。
《両親に結婚を反対されたため、連れ立って栃木から上京した義治と蔦枝は、どこへ行くアテもなく夕暮の浅草吾妻橋附近を歩いていた。以前廓にいた好みで洲崎遊廓へ入り込んだ蔦枝は、一杯のみ屋“千草”の女将お徳に二人の職探しを頼み、蔦枝はお徳の店で働くことになる。義治の方も、千草に近いソバ屋で働くことになるが覇気のない彼は失敗続き。だが女店員の玉子はいつも義治をかばってくれた。ある日、蔦枝は田舎へ送金したいからと義治に給料前借を頼むが、返事に渋る彼を歯がゆがり、千草の馴染客落合に頼み込む。当にしていた以上の融通を受けて落合に惚れ込んだ蔦枝は行方不明になった義治のことも意に介せず、落合の探してくれたアパートに引越す。その夜の千草も客の出入りは頻り。騙されて廓に連れ込まれた初江に惹かれ、以前から彼女を救おうと努める純情青年信夫が、救出は無理だとしおれている処に義治が戻って来たが、蔦枝と落合の一件を聞き再び表へ飛び出す。その時、ある女と駈落していたお徳の旦那伝七が現われ、喜んだお徳は玉子に留守を頼み揃って外出。落合を探し疲れた義治が千草に戻ると、お徳から堅気な玉子と一緒になれと水を向けられ万更でもない。或る夕刻、そろそろ落合にも飽きた蔦枝が義治に逢おうと千草に来る。玉子のお蔭で堅気になろうとした義治も、これを聞いて叉心迷う。やがて、洲崎神社の境内で伝七が殺され、お徳は死体にすがって泣いた。その晩、義治と鳶枝は遊廓を出、宛もなく永代橋の上から赤信号の方へ歩み去って行った。》.


 この映画は、舞台が隅田川界隈だということもあって、私はすぐに「方丈記」の冒頭を思い浮かべた。
《ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、
又かくのごとし。》
 ゆく河とは、時代の流れである。戦後の赤線地帯「洲崎」の末期、巷も不況で失業者が溢れていたころのことである。よどみとは「洲崎パラダイス」、うたかたとは、そこに吹き寄せられて暮らす人々である。「売春防止法」が施行される直前、蝋燭の火が消える直前パット燃え上がるように、洲崎の遊郭も一瞬輝いていたか。
 この映画には延べ5組の男女が登場する。①駆け落ちはしたものの相手を養えない義治(三橋達也)と水商売上がりの蔦枝(新珠三千代)、②洲崎の入り口で一杯飲み屋「千草」を営むお徳(轟由起子)と亭主・伝七(植村謙二郎)、③蔦枝と「千草」の常連客・落合(河津清三郎)、④義治の住み込み先・蕎麦屋の女店員・玉子と義治、⑤郭に騙されて売り飛ばされた初枝(津田朝子)と彼女を救い出そうとする純情青年・信夫(牧真介)。これらのカップルは、まさに「かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」といった風情で、その色模様が曼荼羅のように鮮やかに描き出されていたと、私は思う。
 そして成瀬巳喜男、溝口健二と同様に、川島雄三監督もまた「女の強さ・たくましさ・したたかさ」を讃え、反対に「男の甲斐性のなさ、意気地なさ、間抜けさ、弱さ」を嘲っているようだ。義治には玉子という堅気の伴侶が現れ、地道な暮らしに入れそうだったが、蔦枝の魅力(魔力)に抗うことはできなかった。伝七は郭の女と出奔、4年後に我が家に戻ったが、数日後にはその女に殺されてしまった。落合も蔦枝に着物代、アパート代を負わされた。最後の頼み、信夫の純情も裏切られ、初枝は行方不明に・・・。
 わずかに、冒頭、吾妻橋からバスに飛び乗った蔦枝に従ったのは義治だったが、終幕、永代橋で蔦枝は義治に「どこでもついて行くわ」と言い、義治に従う姿勢をみせたことが救いであったか・・・。はたして、今度こそ、義治は蔦枝を養うことができるのだろうか。
(2019.7.7)