梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

続・スクールバス殺人犯の《必然》

 先月末、神奈川県川崎市で起きた「スクールバス襲撃事件」を扱ったマスメディアの記事に共通しているのは、犯人の《顔写真》である。いずれも少年時代、学生(職業訓練生)時代のものであり、51歳の犯人像を描出しているとは思えない。そのことに違和感を感じなければならないはずなのに、情報提供者も視聴者もその映像を(あまり頻回見せられると)「慣れきって」しまっているようだ。そのことが《こわい》のである。報道は「真実」を伝えなければならない。あの《顔写真》は犯人の実像(現在像)ではない。関係者は「そんなことは百も承知だ」というだろう。だがしかし、それではなぜ現在の《顔写真》を入手できないのいか。そのことを《問題視》しなければならないのである。
 要するに、犯人の情報は少年時代まで、学生時代までに限られているということ、犯人は成人後の30年余り(社会的には)「空白の時代」を過ごしてきたということを確認し、それはなぜだったか、その要因を明らかにすることが、私たちにとって喫緊の課題なのである。30年間、1枚の写真も撮らない生活とはどのようなものか。証明写真、集合写真、スナップ写真とは無縁の生活とはどのようなものか。いうまでもなく、社会から疎外された「ひとりぼっち」の孤独な生活である。    
 現代の日本社会において、犯人と同様・同質の生活を送っている人々がどれくらいいるか。《内閣府が3月29日に公表した、40~64歳の「ひきこもり中高年者」の数が推計約61万3000人に上ったという調査結果は話題を呼んだ。厚労相が「新しい社会的問題だ」との見解を示すなど、その波紋が広がっている。》(『ダイアモンド・オンライン』「中高年引きこもり」調査結果の衝撃、放置された人々の痛ましい声・池上正樹・ジャーナリスト2019.4.5)というネット記事(https://diamond.jp/articles/-/198874)もある。  
 まさに、厚労相のいう「新しい社会問題」が露見したのだ。 
 さればこそ、今回の「スクールバス襲撃事件」は、偶然でも、突然でもなく、いわば現代社会の「必然」であり、そうした社会のあり方を根底から見直すことをしなければ、その「必然」は何度でも繰り返されるに違いない。学校の警備、通学路の見守りなどといった姑息な手段だけでは「後手を踏む」ばかりだと、私は思う。
(2019.6.9)