梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

スクールバス殺人犯の《必然》

 東京新聞朝刊(3面)に「週刊文春」と「週刊新潮」の広告が載っている。そこには《スクールバス殺人犯 岩崎隆一(51)「名門小」憎悪を生んだ従姉妹への嫉妬 両親から捨てられ・・・》《登戸「スクールバス」襲撃 「エリートの卵」だから狙った51歳引きこもりの「宅間守」崇拝》という宣伝文句が記されている。
 私は事件を知った当初、まず「覚醒剤中毒」による無差別殺人を思い浮かべたが、この文句を見る限り(記事の詳細は承知していないが)、特定の対象を狙った、きわめて冷静で「確信」的な犯行だと考えざるを得ない。つまり、事件の真相がよく理解できるのである。ヒントは《「宅間守」崇拝》という一点だ。「宅間守」が大阪教育大学付属池田小学校に侵入し、8人の児童を殺害(15人傷害)したのは2001年6月、38歳の時であった。「岩崎隆一」は当時33歳、自分と宅間の生い立ち、境遇を重ね合わせて、《いたく共感を覚えた》としてもおかしくはない。やがて共感は《崇拝》に変わり、同じ轍を踏もうとする。周囲(世間・社会)にとっては、あまりにも突然だったが、本人にとっては当然すぎるほどの必然であり、虎視眈々とその機会をうかがっていたに違いない。「(宅間に比べて)自分はもう50歳を過ぎた。10年以上も遅れをとっている」という焦りがあったかどうか・・・・。いずれにせよ、犯行から自殺までのプロセスはすべて「想定内」、刑死するまでの時間と手間を省いたということであろう。
 犯人の人物像、生活があまりにも「特異」な(世間からかけ離れている)ために、今回の事件は「想定外」で防ぎようがなかった、それだけに被害者は「救われようがない」といった空気が漂う。だがしかし、そのことのほうが、むしろ問題だ。事件は、親子関係の断絶による《愛着障害》によって引き起こされたと思われるが、その《寂しさ》《虚しさ》《孤立感》を共有、共感できる人間が居なかった。犯人の心情、心象を「想像」するだけで(私もその一人である)、「ともに生きる」覚悟が欠けていた。その態度が犯人にとっては、「冷たく」「白々しく」我慢できなかった。だから、気分的には世間への「面当て」(自己主張)が主たる動機、行動的には「エリート(の卵)への復讐」(殺傷)、結末は「自爆」(自殺)という経過を辿ったのだと思う。  
偶然でも、突然でもなく、いわば現代社会の「必然」であることを肝銘したい。
(2019.5.30)