梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

続・丸山穂高議員の《酒癖》

 丸山穂高議員の「戦争をしないとどうしようもなくないですか」という(酒気帯び、あるいは泥酔)発言は、以下のような庶民の意識に支えられているかもしれない。
 《まあ、言うことはわからんでもない。戦争して勝たないと日本は未来永劫国家主権を取り戻せない。ずっと他国の言いなりになり搾取され続け貧困国に落ちてもいいから戦争だけはしたくないのか、国家主権を取り戻すために勝てる戦争も視野に入れるべきなのか、真剣に考えなければならない。反射的に戦争をタブー視するだけのアホは薄っぺらい平和を語る前に歴史を学べ。》
 このときの「戦争して」とは、具体的に、どのようなことを意味しているのか。一般的に戦争とは「武力行使」のことだが、①誰が、②誰に、③どのような、武力行使をするのかについて明らかにされていない限り、この見解(主張)は「言葉だけ」ということになる。さらに「勝てる戦争」とは、どのような戦争かも、判然としない。「歴史を学べ」ば、日本の戦争はつねに「勝つ」ことを目指して、「勝てる」戦争(だと思って)行ってきたにもかかわらず、300余万人の国民が犠牲になり「無条件降伏」という結果に終わったことがわかる。つまり、日本は「勝てる」戦争を始めて、負けたのだ。あるいは「勝てないとわかっていながら」反射的に、薄っぺらい民族主義に酔いしれて負けたのかもれない。
 今から74年前(1945年)、日本はなぜ「無条件降伏」をしなければならなかったか(なぜ負けたか)を明らかにしなければ、「勝てる戦争を視野に入れる」ことは不可能だろう。そしてまた、憲法第9条がある限り「勝てる戦争を視野に入れる」ことなど、《夢のまた夢》である。
 したがって、「戦争をしないとどうしようもなくないですか」という丸山穂高議員の発言は、歴史を学ばない、戦争を知らない、憲法を無視した、「戦争ごっこ」に興じる《小学生並み》の見解に支えられたものでしかない。所詮は「酒の上の戯れ言」に過ぎないのだ。まともに論議すればするほど、日本社会の未熟さが露呈されるだけだと、私は思う。
(2019.5.24)