梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「大人の見る絵本 生れてはみたけれど」(監督・小津安二郎・1932年)

 ユーチューブで映画「大人の見る絵本 生れてはみたけれど」(監督・小津安二郎・1932年)を観た。「大人の見る絵本」というタイトルだが、登場人物は子どもたちが中心である。またその中の中心になるのが吉川家の兄・良一(菅原秀雄)とその弟(突貫小僧)ということである。
 吉川家はこれまで麻布に居たが、子どもたちをのびのびと育てようと、郊外に引っ越してきた。引っ越し先の近所には父(斎藤達雄)の会社の重役・岩崎(坂本武)の豪邸がある。引っ越しの途中で、父は早速、岩崎邸へ挨拶まわり、周囲(会社の同僚)からは「出世するための転居ではないか」と陰口を叩かれている。兄弟もまた土地の子どもたちから「変なやつがやってきた」と警戒されている様子だが、子どもの世界は「体力」がものをいう。強い者がすべてを支配するのだ。土地の子どもたちには、ガキ大将・亀吉、岩崎の息子・太郎、二人を取り巻く追随者、その弟たちがおり、いつも集団で行動する。だから、吉川家の兄弟が、その集団の中に入るためには、最強者となって皆を従属させるか、弱者となって皆に従うかのどちらかを選ばなければならない。どうやら弱者にはなりたくないようだが、新参者のハンデキャップは否めない。学校でも亀吉が幅をきかせているので、面白くない。つい足が遠のいて「一日中サボる」こともあった。そのことがばれ、父からは「学校へ行かなければ偉くなれない」と叱られるた。大人にとっては「偉さ」が価値だが、子どもにとっては「強さ」が大切だ。雀の卵を飲むと喧嘩に強くなるらしい。兄の良一もそこそこ強いが、亀吉には勝てない。何かにつけて亀吉が「絡んでくる」ので、煩わしいと感じている。弟は兄と一心同体、亀吉にいじめられれば兄を頼り、つねに行動を共にする。兄よりも策士であり、出入りの酒屋の小僧(だが年長者・小藤田正一)を利用して、亀吉への圧力をかけようとする。父の月給日、母(吉川満子)の機嫌が良い時を見計らって、酒屋にビール(半ダース)の注文をさせることに成功、酒屋は恩義を感じて、雀の巣の下で兄ともめていた亀吉を一喝、「こんどからこの子たちを泣かせたら承知しないぞ」と泣かせてしまった。
時が経つにつれ、徐々に兄弟の頭角が現れ始めた頃、岩崎邸では自作の「活動写真」(8ミリ映画)を観る会が催された。兄弟も太郎に雀の卵を提供して参加することができたのだが・・・。そこでは尊敬する父親が「三枚目」を演じて周囲を笑わせるひょうきんな映像が流される。兄弟、とりわけ良一は日常とは異なる父の姿にショックを受ける。その場にいたたまれず、会場を抜け出して帰路についた。途中での兄弟の会話「うちのお父ちゃんは本当に偉いと思うか」「偉いんじゃないの」。しかし、良一にはどうしても偉いとは思えない。帰宅した父に向かって「どうして太郎ちゃんのお父ちゃんにあんなに頭を下げるんだ」と責め立てる。そこから父子のバトルが始まった。父は、岩崎さんに雇われているのだから立場が違うことを説明するが、良一は納得しない。父が「岩崎さんから月給をもらっているからお前たちは学校へ行ったり、ご飯を食べたりできるんだぞ」と言えば、「もう明日からご飯を食べない」「お父ちゃんの弱虫、意気地なし」などと言って、バットや本棚の本を放り出すなど大暴れする。父はたまらず良一を抱え上げ、尻ペタを何度も(泣き出すまで)叩きつづける。弟もまた父に挑みかかったが相手にはならなかった。やがて母が兄弟をなだめる。「お前たちいい子だからお黙り」。良一は泣きながら言う。「僕は太郎ちゃんより強いし、学校でも上だ。大人になって太郎ちゃんの家来になるのなら、学校なんてやめてやる」。泣き寝入りした二人の寝顔を見つめながら、父がしみじみとつぶやく。「こいつらも一生わびしく爪を噛んで暮らすのか」・・・「俺のようなやくざな会社員にだけはならないでくれよなあ」。父には子どもたちの気持ちが痛いほどわかっているのだが・・・。「お父ちゃんは偉くなれというが、自分はどうなのか。お金持ちが偉いのか。貧しくても偉いとはどういうことなのか」こうした問題は一生つきまとう。
 タイトルにあるように「生まれてはみたけれど《一生わびしく爪を噛んで暮らすのか》といった眼目が集約された場面であった。
 やがて翌朝、兄弟は朝ご飯を拒絶するそぶりをみせたが、握り飯を食べ「いつも通り」登校する。踏切の手前で重役の自家用車に遭遇、太郎が降りてきた。弟いわく「お父ちゃん、(太郎ちゃんのお父ちゃんに)頭を下げたほうがいいよ」。父もまた「いつも通り」重役に頭を下げ、その自家用車に乗り込んだ。兄弟と太郎が「肩を組んで」元気に登校する姿を見送りながら、この絵本は「おわり」となった。
 はたして、子どもたちは大人の「暮らしぶり」を納得したのかどうか、それはわからない。あくまで観客の受け止め方次第ということであろうか。そしてまた《何が偉いのか》という問題は、現代の私たちにも《一生つきまとう》ことはたしかだ。
(2020.12.30)

映画「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)

 ユーチューブで「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)を観た。タイトルに「恋の花咲く」という文言が添えられているように、この作品は川端康成の原作を大きく改竄している。それはそれでよい、むしろその方が映画としては面白かった、と私は思う。主人公の学生・水原(大日向伝)は原作の「私」とは似ても似つかない快男児・好青年として描かれていた。水原が伊豆を旅して巡り合った旅芸人たちとの「絡み」と「行程」はほぼ原作を踏襲しているが、随所、随所に伏見晃の脚色が加えられている。その一、冒頭に登場するのは、自転車を全速力で走らせる一人の警官、伊豆の温泉町にある旅館・湯川楼の内芸者が借金を踏み倒して逃亡したと言う。村人に目撃者がいないかを尋ねているところに、かつて湯川楼に出入りしていた鉱山技師久保田(河村黎吉)も加わり、金鉱の山を買って大儲けした湯川楼の噂をする。その二、ある村の入口で、一人の虚無僧が立札を見ている。「物乞い旅芸人立ち入るべからず」と書かれている。彼は立札を引き抜き倒して立ち去った。その様子を見ていた村の子どもたち。後から来た旅芸人の娘(薫・田中絹代)が倒されている立札に気づき手にしたところを村人から咎め
られる。「役場に来い」などと言われ娘の兄(永吉・小林十九二)が無実を主張し小競り合いが始まった。そこに通りかかってのが水原で、村人に「引き抜いた所を見たのか」と確かめる。「あたい見たよ」と証言したのは村の子ども、「さっき尺八吹きの男が引き抜いたんだ」。かくて旅芸人一同の窮地は救われた。以後、水原と旅芸人の旅程が始まったのである。その三、湯川楼という旅館は、水原の先輩・隆一(竹内良一)の実家、主人の善兵衛(新井淳)は永吉の父とも懇意にしており、旅芸人になった永吉、薫たちの後見人という立場であった。永吉の父から買った山から金鉱が出たが、儲けた金の一部は薫名義で貯金している。ゆくゆくは堅気の生活に戻って、薫を隆一の嫁にしたいと思っている。その四、技師の久保田は湯川楼の繁盛振りを見てなにがしかの現金を強請り取り、永吉にもけしかける。「君はダマされたんだ。分け前を貰って一緒に金鉱を掘りてよう」。そそのかされて永吉は湯川楼に向かったが「金が欲しければ妹を連れてこい」と追い返された。その様子に義憤を感じた水原も湯川楼に談判に行くが、そこで善兵衛の真意が解るという次第。その五、大詰めの下田港、水原は《先輩・隆一のために》薫との恋を諦める、真意を打ち明け「このことは誰にも言ってはいけないよ」。薫の櫛と水原の万年筆を「愛の形見」として交換する。
 以上は、川端康成の原作にはない「脚色・演出」である。まさに「文学」と「映画」(演劇)の違いが際立つ、傑作に仕上がっていたと、私は思う。加えて、見どころも満載。二十代の田中絹代が演じる薫の姿は天衣無縫、おきゃんで惚れっぽい娘の魅力が存分に溢れていた。大日向伝の「侠気」もお見事、さらに温泉宿には遊客・坂本武、芸妓・飯田蝶子までが登場、旅芸人・小林十九二と「剣舞・近藤勇」を競演する場面は抱腹絶倒、悲喜劇を同時に味わえる逸品であった。
 この作品は、「伊豆の踊子」映画化の第一作である。以後、薫役の美空ひばり版(1954年)、鰐淵晴子版(1960年)、吉永小百合版(1963年)、内藤洋子版(1967年)、山口百恵版(1974年)、早瀬美里版(1993年)が作られているが、それらの全てを見比べてみたい衝動にかられた次第である。
(2017.1.28)

信心(信仰)のポイント

 「苦しいとき(困ったとき)の神頼み」という言葉があるが、苦しいとき、困ったときに神仏を頼っても効果は期待できない。普段は神仏を大事にしていないのに、困ったときだけ「お願い」するというのは虫が良すぎるからである。
 信心で最も大切なことは、お願いしたり祈ったりすることではなく、《感謝する心をもつこと》だと思う。たとえ苦しくても、まだ辛抱できるときに、そのことを感謝するのである。「ありがとうございます。この程度で収まっているのもあなた(神仏)様のおかげです」というように。そう念じながら「ナムアミダブツ」「オオヤマネズノミコト」「オオ、主イエスキリストよ」「ナムミョウホウレンゲキョウ」などと唱えるのがよい。病に罹っている場合など、不快感や苦痛の激しいときではなく、小康状態のとき、「今日は気分がいい」というときなど、「ありがとうございます。おかげさまで今日は快いひとときを過ごすことができました」と感謝し、そのときの気分や体調を《記憶にとどめる》ことがポイントである。つまり、《体調や気分がいい》という快感と《感謝の祈り》を結びつけるのだ。 反対に、「苦しいときに神頼み」をすると、《苦痛や不快感》が《神頼み》と結びついてしまい、神頼み(祈り)=苦痛・不快感という等式が成り立ってしまう。 
 要は、その逆をめざすこと、神頼み(祈り・感謝)=快感という等式を、自分の中に創り出すこと、それが信心(信仰)の一歩ではないだろうか。
 そうすれば、本当に苦しくなったとき、辛抱できなくなったとき、「神頼み」の効果が顕れるかもしれない。
 だから、私はつねに「ありがとうございます。おかげさまでまだ辛抱できます。」と神仏に感謝するよう心がけている。
(2021.5.8)