梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

信心(信仰)のポイント

 「苦しいとき(困ったとき)の神頼み」という言葉があるが、苦しいとき、困ったときに神仏を頼っても効果は期待できない。普段は神仏を大事にしていないのに、困ったときだけ「お願い」するというのは虫が良すぎるからである。
 信心で最も大切なことは、お願いしたり祈ったりすることではなく、《感謝する心をもつこと》だと思う。たとえ苦しくても、まだ辛抱できるときに、そのことを感謝するのである。「ありがとうございます。この程度で収まっているのもあなた(神仏)様のおかげです」というように。そう念じながら「ナムアミダブツ」「オオヤマネズノミコト」「オオ、主イエスキリストよ」「ナムミョウホウレンゲキョウ」などと唱えるのがよい。病に罹っている場合など、不快感や苦痛の激しいときではなく、小康状態のとき、「今日は気分がいい」というときなど、「ありがとうございます。おかげさまで今日は快いひとときを過ごすことができました」と感謝し、そのときの気分や体調を《記憶にとどめる》ことがポイントである。つまり、《体調や気分がいい》という快感と《感謝の祈り》を結びつけるのだ。 反対に、「苦しいときに神頼み」をすると、《苦痛や不快感》が《神頼み》と結びついてしまい、神頼み(祈り)=苦痛・不快感という等式が成り立ってしまう。 
 要は、その逆をめざすこと、神頼み(祈り・感謝)=快感という等式を、自分の中に創り出すこと、それが信心(信仰)の一歩ではないだろうか。
 そうすれば、本当に苦しくなったとき、辛抱できなくなったとき、「神頼み」の効果が顕れるかもしれない。
 だから、私はつねに「ありがとうございます。おかげさまでまだ辛抱できます。」と神仏に感謝するよう心がけている。
(2021.5.8)