梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・45

《第11章 Dくんの場合》(小柴真喜子)
1,入園時のようす・・・表情固く言葉を発しない
・Dくんは非常におとなしい子で、感情表現が乏しく、一定の表情しかみられなかった。・電気のスイッチをつけたり消したり、オルガンの音に興味をもち、オルガンの下にもぐり込んでばかりいた。シーソーブランコを動かしては、腰かける所の下の部分で、キーキーときしむ声を出し、1人で笑って楽しんでいた。まわりの子に関心を示すことはまったくなく、働きかけても知らんぷりの状態であった。
・家では、いつのまにかいなくなってしまい、どこにいるのかわからず、大騒ぎをすることが何度かあり、目の離せない状態だった。両親のどちらともつながりが薄く、父親が朝「会社に行ってくるよ」と言ってもしらんぷり、母親がいなくてもDくんには関係がなかった。
◆生育歴
・父(31歳)、母(26歳)、本児の3人家族である。
・在胎10カ月で、期間中は特に問題はなかった。生下時体重は3200㌘、逆子で生まれた。黄疸は軽く特に問題はなかった。人工栄養。首のすわり3カ月。立つ2歳。始歩2歳6カ月。歩き方は、かかとがつかず、つま先立ちで、転びやすかった。身体発達(移動面)の他は特に問題なく、病気もせず、コロコロ太った赤ちゃんであった。
◆相談歴
・3歳10カ月から親子学級に週1度通園。
・4歳8カ月の時、児童相談所で発達検査を受ける。(「遠城寺式乳幼児分析的発達検査」
・移動運動:1歳6月~1歳9月 手の運動:1歳0月~1歳2月 基本的習慣:1歳9月~2歳0月 対人関係・0歳11月~1歳0月 発語:1歳0月~1歳2月 言語理解:0歳11月~1歳0月
*「トランポリンなど遊具をたたく、三輪車のタイヤをまわしてさわる、という遊びをしている。床に座ってしまうと、立ち上がることができず、立ち膝で移動する。弱々しい発声はあるが言葉はほとんどなく、マンマ、ブーブー、ママくらいであり、『だめ』という指示理解は多少あるようである。時間排泄でおしめを併用している。表情は固く、対人関係は希薄であり、遊びも1人遊びで、感覚遊びのレベルである。食事はスプーンを持てるが使えず、介助である」
◆発達評価(4歳11カ月)
・対人関係:3カ月~4カ月(周囲の人があやすと喜ぶ)
・全身運動:9カ月~18カ月(交差型ではう、ひとりで立ち上がって数歩歩く、両腕を上げて平衡をとらなくても歩ける)
・手の運動:12カ月~13カ月(じょうずにつまんで積木を容器に入れる)
・言語表現:15カ月~18カ月(10~20語を話す)
・言語理解:15カ月~18カ月(60~60語と二語文を理解する)
・視覚機能:不明
*対人関係は全般的に淡泊で、感情の豊かさがない状態である。対人関係では、振り回しなど、好きな遊びをしてやると喜ぶ。全身運動ではアキレス腱拘縮がみられ。躯幹の回旋が不十分でバランス反応がうまくひき出されない。視覚機能では、絵本を探し、めくってようく見ているが判別がつきにくく「不明」にしておく。
◆母子関係(A:育っていない B:育ちつつある C:かなり育っている)
A・他の子どもと一緒に遊ぼうとしない。
A・母親の動作や発声をまねしようとしない。
A・母親と視線が合わず、呼ばれても振り向かない。
A・表情に乏しく、泣き声や笑い声も固い。
A・痛い時、こわい思いをしたような時でもあまり泣かない。
A・見知らぬ場所でも、手を放すとどこかに行ってしまう。
A・母親がいなくなっても平気で、探さない。
A・母親にあまり寄りつかず、触れられるのを避けようとする。
*好きな遊びではキャッキャッと笑い声も出、時には、いやなことがあると泣いたりすることはみられた。
◆感覚診断
◎平衡感覚が鈍い(・シーソーで笑い声をだす ・振り回しても目が回らない ・トランポリンはニコニコする ・ハンモックはニコニコする)
◎皮膚感覚が鈍い(・ボールを当たられても感じない ・ぎゅっと抱かれるのを喜ぶ ・ブラシおとなしくやらせる ・転んでも痛がらない ・くすぐられると喜ぶ ・バイブレーター喜ぶ ・トロンボーンに頭を入れて喜ぶ ・水は好き)
◎味覚が鋭い(・好き嫌いあり ・みそ汁、果物、焼き魚、チーズ、牛乳が嫌い
・スイカは食べる ・牛乳は温めると哺乳びんで飲む)
◎嗅覚が鈍い(・髪の毛などいろいろなものの臭いをかぐ ・トイレで便器の中に顔をつける)
◎視覚が鋭い(・タイヤを回して触っている ・トイレの水の流れを見ている ・暗い所が好き ・海になかなか入れない(波がいやなのかもしれない))
*味覚と視覚は鋭いようすがうかがわれるが、平衡感覚、皮膚感覚、嗅覚は鈍いようである。


2.指導方針・・・平衡感覚と皮膚感覚刺激へのアプローチ
・母子関係を育てていくことをポイントにし、平衡感覚と皮膚感覚に焦点をあてたアプローチをしていく。
・ブラッシングで皮膚感覚を刺激すること、抱いてトランポリン上で跳びはねること、ハンモックでゆらすこと、くすぐりを行うこと、抱いてぐるぐる振り回すことなどを、Dくんの反応をみながら行っていく。
・食事面では。手づかみでもいいから自分の手でたべさせていく、徐々にスプーンをもって食べることも取り入れていく。
・言語面では、身ぶり言語も取り入れてゆき、理解を促しひとつの表現方法としてゆく。20語足らずの単語は、身ぶりを入れて話しかけてゆくことにする。
・全身運動の分野では、全身運動をしながらバランス反応を向上させることをねらってゆく。


3.経過・・・笑い声や言葉が出始める
【4月~5月】
・トランポリン、振り回しでは、徐々に声を出して喜ぶようになってきた。くすぐりに対しても笑って喜び、毎日やってゆく。トロンボーンはニコニコして何度も催促してきた。シーソーブランコに自分から乗って、揺り動かして楽しむようになった。職員か母親が一緒に遊ぶようにし、対人関係をもっての遊びになるよう配慮してゆく。この頃、家ではお母さんに甘えるようになった。4月末からは添い寝しないと寝ないようになった。幼児教室でも家でも、人を求めてくるようになった。朝の集まりでは、「どこでしょう」で名前を呼ぶと「あい」と返事するようになった。声を出して笑うようになった。
・5月になると声が出始め、「はやく」を「はかく」と発音したり、職員が「サカ」と言うと「サカ」と似た発音をしたり、「ごはんだよ」と言うと「ゴハン、ゴハン」と言ったりすることが見られ出した。職員室のファイルケースの引き出しに指をはさんだとき、「ウーン、イタイ」と言って、ウロウロしたということがみられた。
・動くおもちゃの車輪を口に入れ、振動を楽しむようになった。太鼓の音、電話の音をきらう、セーターの編み目に指を入れじっと見ることなどがみられた。ブラッシングの反応も鮮明になり、腕の内側を喜び、唇のまわりを押してやると喜んだりした。
・5月末、園外指導で海へ連れて行くと非常にいやがった。この時より、海へ行こうと言っただけでもいやがって泣くようになった。
【6月~8月】
・お母さんが「Dくん」と呼ぶと振り向くようになった。
・柔らかい皮膚の腕の部分、のどや首のあたりのブラッシングを喜んだ。バイブレーター、振り回しも喜んだ。トランポリンも喜び、膝立ちで跳びはねている。
・人の言う単語を不十分ながら真似て声を出していた。シャープの製品を「カープ」、「99,100」と言うと、100のことを「アク」と言ったりした。
・8月の家庭訪問で、職員にせんべいののりを取って食べさせるので「けち」と言うと、Dくんも「ケチ」と言い皆を笑わせた。
・笑い方に表情が出てきて、動きも活発になり、自分からどんどん遊ぶようになってきた。
・紙類を手当たり次第に破くこと、電気あんまの椅子のスイッチを押してガタガタと動かして遊ぶことなどがみられた。
・海へ行くことは、多少こわがらなくなり泣かなくなったが、砂に足をつけられない状態であった。
・母親との関係が育ち始め、母親が他児とかかわると不満そうなようすがみられた。
・6月から11月ころまで睡眠不足(3時頃起き出してしまう)が目立った。
【9月~11月】
・外で遊んでも定期的に母親のもとに帰ってくるようになった。
・9月下旬には、一時的に母親をきらう時期もあった。(反抗期)
・朝の集まりで返事もしなくなった。これまで言っていた言葉も言わなくなったりした。
・10月になると、母親に甘えてばかりいるようになる。母親が外出から家に帰ると、Dくんは泣いていて、母親に飛びついてくることもあった。いつも母親のそばにいるようになった。友だちと本の取り合いをして負けると、母親のもとに行ってくやし泣きをするようになった。
・声がまたいろいろ出てきて「アー」「キー」「ウー」「クー」「ワー」と長く発音するようになり、職員が大きな声で「アー」と言うと、違う音で職員に応答するようになった。・家にいる時はいくつかの単語が増えてきた。「ウサギ」「アカイ」などと言った。
・感覚面では、振り回すと、目が回るようになってきた。
・窓の棚に登り、降りられなくなると泣いて助けをよぶようになり、いろいろな表情が出てきた。絵本を取り出して、好きなページをじっと見ていることが多くなった。
・11月過ぎには、3時頃起き出すことがなくなった。
・戸外の鉄柱類をたたいてまわる、という新しい行動が始まった。職員もたたくとニコニコ笑ってみている。たたくとビーンと細かく振動するので、振動覚を求めているのかもしれない。この行為は個別の音楽指導をやり始めて以降のもので、トライアングルや拍子木の遊びの中で発見したDくんの遊びなのであろう。興味深い。


4.現在のようす・・・母親に強い愛着
・何よりも一番の変化は表情の豊かさであり、顔を見合わせるとキャッキャッと声を出して喜ぶし、職員にも甘えてくるようになった。
・トランポリンから降りようとして足をぶつけ「痛い」と泣き出した。そういう時、必ず母親のもとへ行くようになっている。
・細かい字、細かい絵、マークが好きで、「マークは?」と言われて職員のジャージに付いているマークを探し、指差しして遊んでいる。
・振り回しは目が回るようになり、喜ばなくなったのでやらなくなった。最近ブラシもいやがるようになってきた。痛覚、触覚が平均域に近づきつつあるのではないだろうか。くすぐりや抱きしめはやっている。
・発達評価で大きく変化したのは、対人関係であり母親に強い愛着を示すようになってきた。
◆母子関係評価(A:育っていない B:育ちつつある C:かなり育っている)
A・他の子どもといっしょに遊ぼうとしない。
B・母親の動作や発声をまねる。やさしい芸をする。
C・母親以外の家族とも視線がよく合い、呼ばれると振り向く。
C・うそ泣き甘え泣きをする。
C・痛い時、こわい時など、母親に甘え泣きをする。
B・見知らぬ場所に行くと、母親にぴったりとくっついて離れない。
B・母親が見えなくなると必死に探し回り、再び顔を見ると安心する。
B・母親にべたべたまつわり付く。母親のすぐそばにいたがる。


5.考察・・・感覚刺激が功を奏す
・入園から8カ月で、当初の表情からは予想もつかないほど、表情に豊かさが出てきた。・母親を探すようになり、そばにいるようになった。母親がいれば、母親から離れて遊び、ころんだり、けんかをしたりすると母親のもとにいきようになった。
・Dくんは、手がかからないおとなしい子どもだった。そうするとつい1人で遊ばせておくことの多い毎日であったようである。
・3歳10カ月から親子学級に通園し始め、4歳10カ月から積極的に母子の接触量を増やし、感覚刺激を行ってきた。表情が豊かになり、甘えてくると母親もそれに応じていき、変化に励まされ、積極的になっていく。ひとつの見通しがもて、よい環境が産み出されてきたのであろう。母親の子どもへの接し方もよいのだが、Dくんの反応が乏しいため、徐々に接触量がへっていってしまったのだろう。
・感覚刺激が、どのようにDくんの大きな変化に結びついていったのだろうか。なぜ表情が乏しく、母親を求めようとしなかったのだろう。触覚が鈍く、痛覚が鈍いならば、抱かれるくらいでは快感につながらず、表情も変わらない。種々の刺激が平均的な子ども達とは異なった感じ方で脳に伝達されてゆく。その結果表情はなく、悪循環が始まったとすれば、早期に種々の感覚が平均的になることが、Dくんにとって大切な要素となるであろうと考えられる。
・感覚面への働きかけにより発達を阻害しているものが軽減され、Dくんのような変化を生みだしているのだろうと思われる。毎日感覚刺激を与えていくことで、それに対する反応が変わってきている。
・いま一歩Dくんの状態を把握し、より適切な刺激を与えていくことが、我々の課題なのであろう。そして父母から友だちへと関心がむいてゆき、友だちと遊べるようになる日を心待ちにしたい。


【感想】
・ほぼ8カ月の統合訓練によって、「表情が固く言葉を発しない」Dくんの表情が豊かになり、母親との愛着関係が形成されていく経過がよくわかった。もともとDくんの発達は「全般的に遅れる傾向」があった。4歳10カ月時の児童相談所の発達検査では基本的習慣が2歳レベル、それ以外の療育はすべて1歳レベルである。また、行動観察結果の記述に「自閉症」もしくは「自閉的傾向」という判定は見当たらない。ただ「表情は固く、対人関係は希薄であり」と記されているだけである。しかし、自閉症の定義には、①対人関係の障害、②コミュニケーション(音声言語)の支障、③固執傾向が含まれているので、Dくんの行動特徴のいくつかは該当する。つまり、Dくんの発達像は「全般的な遅れ」に「自閉的な傾向」が加わっていると考えられるのである。
・したがってこの実践報告は、「感覚統合訓練」という方法が、Dくんの「自閉的傾向」(対人関係およびコミュニケーションの障害)を「消失させた」ことを証明している、と私は思う。「自閉症」「自閉的傾向」は、一つの《症状》に過ぎないということの証しである。発達遅滞児も、身体障害児も、そして健常児も、時と場合によっては(環境次第では)「自閉症」になりうることが、この事例によって見事に証されている。
・著者は、①Dくんには「触覚、痛覚が鈍い」という感覚障害があった、②そのために、「抱かれるくらいでは快感につながらず」、③母親への愛着が育たなかった(母親を求めなかった)、④手がかからずおとなしかったので、母親もまた「つい1人で遊ばせておくことが多い毎日であった、⑤その結果、母子の接触の機会が著しく乏しくなった、⑥3歳後半からの「親子学級」通園により、母子が一緒に遊ぶことが増え始め、⑦4歳後半からは積極的に母子の接触量を増やし、そこでの感覚刺激が功を奏した、という「考察」をしている。その内容に異存はないが、もし「親子学級」通園時(3歳後半)から、積極的に母子の接触量を増やし、感覚刺激を与えていたらどのような結果になっただろうか、またなぜそのようにしなかったのだろうか、という疑問が残った。
・また、Dくんの感覚障害と「全般的な発達の遅れの傾向」には関連があるのか、ないのか、そのあたりも興味深い問題である。
(2016.5.20)