梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・44

《第10章 Cちゃんの場合》(久我晴代)
1.入園時のようす・・・3日に1度くらいしか声を出さない
・2歳11カ月の時、父母と見学に来る。泣いて入ろうとしない。強引に中につれて入る。父母と面談中も泣いてぐずっていた。給食は1人で好き嫌いなく全部食べた。その後、機嫌がなおったので保育室でボール遊びをした。
・3歳から週2回通園開始。初めの2,3日間は園庭で遊んでから中へ入る。1カ月間は午前中だけ出席。半月ほどで保育室に抵抗なく入れるようになった。
・園では、親と目が合わない、名前を呼んでも振り返らない、ほとんど声を出さないし返事もしない、などのようすが観察された。
◆生育歴
・父(37歳)、母(29歳)、兄(6歳)、山林近くの分譲地に住んでいる。
・妊娠中つわりがひどかったが兄が小さかったので、家で薬や注射を続けていた。
・母親の実家(福島県)で出産、正常分娩、3850㌘。乳児期はあまり泣かず、ミルクの飲みが悪かった。1カ月健診で体重が500㌘しか増えなかったので、病院に相談、たえずミルクを飲ませるように指示された。
・つかまり立ち1歳3カ月。始歩1歳5カ月。いつも家の中で過ごし、2歳ごろやっと外で歩くようになった。家の中でゴロゴロころがっていることが多く、玩具で遊ぶこともほとんどしなかった。近所の人が来ると顔を見るだけで泣いてしまう。
・排泄は教えない。ほとんど声を出さず名前を呼んでも振り返らないので、両親は耳が聞こえないのではないかと思ったという。3日に1度くらいしか声を出さない。
◆相談歴
・1歳10カ月、家庭環境が不安定になる事情が生じて、育児上の相談。
・2歳9カ月、3歳児健診の事後指導。母親の働きかけについて指導を受ける。
・2歳11カ月、再判定の結果、つくも幼児教室を紹介される。
・3歳、児童相談所にて精神科受診。
◎「遠城寺式乳幼児分析的発達検査」
・移動運動:2歳9月~3歳0月 手の運動:2歳0月~2歳3月 ・基本的習慣:2歳9月~3歳0月 ・対人関係;1歳4月~1歳6月 ・発語:1歳2月~1歳4月
・言語理解:1歳0月~1歳2月
*「精神発達段階は軽度~中度遅滞域。家庭環境が安定してきたためか、表情が明るくなり、生活のリズムの乱れ、欲求不満耐性の低さは改善されつつあり、男の人への恐怖心も減少してきている。言葉は数語しか出ていないが指差し行動も出てきているので今後の発達が期待できる。母親へのべたつきが多くそれが遊びになっている」
◆発達評価
・対人関係:12~13カ月(家族にほめられると、同じ動作を繰り返す)
・全身運動:21~24カ月(ころばずに走る)
・手の運動:15~18カ月(「つまむ、置く」動作が身につき始め、積木を2個積み重ねることができる)
・言語表現:15~18カ月(10~20語話す)
・言語理解:15~18カ月(50~60語と二語文を理解する)
・視覚機能:36~42カ月(幾何パズルや絵パズルなど、少し進んだ図形認知ができる)◆母子関係(A:育っていない B:育ちつつある C:かなり育っている)
A:表情に乏しく、泣き声や笑い声も固い。
A:母親と視線が合わず、呼ばれても振り向かない。
A:母親の動作や発声をまねしようとしない。
A:他の子どもと一緒に遊ぼうとしない。
B:母親にベタベタまつわりつく。母親のすぐそばにいたがる。
B:母親がいなくなると必死に探し回り、再び顔を見ると安心する。
B:痛い時、こわい思いをした時など、母親に泣いて訴える。
◆感覚診断
◎平衡感覚が鈍い(トランポリンに乗るのが好き、ハンモックに乗るのが好き)
◎皮膚感覚が鋭い(体に触れられるのを嫌がる)
◎皮膚感覚が鈍い(ブラシ強くやっても嫌がらない、あまり痛がらない、くすぐりは身をよじって喜ぶ、バイブレーター強でも平気で喜ぶ)
◎聴覚が鋭い(大きな音をいやがる)
◎視覚が鋭い(同じ道順ねなければならない)


2.指導方針・・・母親によるくすぐり刺激
・発達評価による全身運動・手の運動・言語面・視覚には目立つ発達の遅れが見られないが、対人関係・母子関係の遅れが目立っている。母親に甘える行動が見られないため。家庭で母親が積極的に話しかける、ゴロゴロしたら横で一緒にゴロゴロするなど接触の機会を多く持つようにしてもらう。くすぐりを母親の家でやってもらう。
・ハンモックをやるときは、母親が頭の位置にいるようにする。
・トランポリンは、初めはゆっくりとゆらし、しだいに強くゆするなど変化をつけて遊ぶようにする。
・ブラッシングは家と園で並行して行う。バイブレーターも採りいれる。
・集団行動(リトミックなど)は無理強いせずに、慣れてくるまで待つ。


3.経過・・・トランポリン、ハンモックを喜ぶ
◆6月~8月
・母親が食事中に指示すると、怒り大声で泣きながら母親の髪の毛を引っ張ったり、顔に噛みついたり、なぐったりと激しく攻撃した。
・7月後半から、トランポリンが1人で跳べるようになった。跳びながら笑うようになった。ブランコとシーソーは拒否した。
・プール指導が始まったが、泣いていることが多く、プールには入らなかった。ちょっと水をかけると泣いて怒り出してしまった。家では兄のまねをしてビニールプールに入ろうとするようすも見られるという。兄との関係はよく、マットレスの上でふざけあうこともあるという。
・ブラシは喜び、満足そうな顔をしている。バイブレーター強くしても平気で、くすぐりも喜ぶ。くつは左右わからず1人でははけない。母親が1人ではかせようとするが、本人はイライラして怒り出してしまう。
・8月中旬から絵パズルに興味をもちだした。1片のキリン、ゾウ、犬等はできるので4片以上ある馬。魚、カニ等を好んでやっているが、自分の思うところに入らないとき、3回やってみるのだが、しだいにイライラしてきて、おしりを振って“オレンジ”“入らないよー”と大声で泣いて怒り、パズルを後方へ投げ捨てる。母親が教えようとすると怒って攻撃するので、気のすむまで泣かせておいた。しかし、投げ捨てたパズルを拾って前に置いてあげると、またやりだし同じことを繰り返す。1日のほとんどの遊びがパズル中心であった。家ではイライラして怒ることがほとんどなかったという。やりたいことを自由にやらせて、母親はほとんど口出しをしないので機嫌のよい日が多いらしい。
・この頃になると、他の人を意識し始め、職員のたたく太鼓に合わせて自分も太鼓をたたいたり、他の子と一緒にたたくようになった。
◆9月~11月
・トランポリンが好きで、「ワン・ツー・スリー」と数えながら1人で跳んでいる。母親も手をつないで一緒に跳んでいた。他の子がハンモックをやっていると、その中へもぐり込み降りようとしないが、母親の姿が見えなくなると必死に探す。
・パズルをやっていて母親のいないのに気づいてワーッと泣き出したり、母親とゴロンと横になって頬をつねってみたり口に顔を近づけてみたりなど、母親に対する意識に変化が出てきた。パズルをやっていて、母親に「ちがう、ここでしょ」と言われると怒って投げ出すが、母親に対する攻撃は見られず、1人でまた拾ってやり出すようになった。母親に甘えるようなしぐさが出てきた。
・バイブレーター、ブラシも喜んだ。くすぐられるのを大変喜び、職員が1度くすぐって手をひっこめると、2度目を期待して、ニコニコ笑いながら職員の手の動きを見ているようになった。ハンマー遊びにも根気よく長時間取り組んだ。うまくねらい打ちができないと怒って放り投げるが、すぐまた自分で拾ってやり始める。
・11月、給食後機嫌よく遊んでいるので、母親はそっと1人で部屋からぬけ出してみた。本児は、母親が見えないのでキョロキョロ探したが、いつものように泣かない。他の遊具で遊び出した。職員が「Cちゃん」と呼んでみると「ハーイ」と返事が返ってきた。顔は遊具に向けたままである。その後、竹の筒、ビジーボックスなどで遊んだり、みかんを見つけて1人で皮をむいて食べたりしているところに母親が帰ってくると、今までに見たこともない笑顔で母親に近づいて行った。その後数回、このような試みが行われたが、1人で遊んで待つことができるようになった。
・言語の面では、返事が確実に言えるようになった。帰りの会の歌を部分的に歌えるようになった。友だちに蹴られると「イタイヨー」「ダメ」などと適切なことばが使えるようになった。家では兄のことばをまねて「お母さん、おやすもなさい」と言ったという。
・ボールを持って大きな鏡に向かってその姿をながめたり、洋服を着ると鏡の前で見るという。黒板にチョークでいたずらがき(グルグルとなぐりがき)をするようになった。


4.現在のようす・・・母親への甘えが出てくる
・家では金属のブラシを使ってこすっている。以前は血がにじむ程こすっても引っ込めなかったが、この頃は2,3回で引っ込めるという。手の触覚(痛覚)は感じるようになってきたようだが、唇や顔の傷をひっかいて大きくしてもなかなか治らない。痛覚の改善はまだ完全ではないようである。
・母親への甘えが目立ち、外でもそばに母親がいるとわざとぐずってひっくり返り歩かない。母親が見えなくなると1人で歩き出す。
・トランポリンでは、さらに強い刺激を好むようになり、職員が抱いてからトランポリンの上に放り出すと大変喜ぶ。1度終わると、再度要求してくる。
・家でも庭に出て遊ぶようになり、母親と2人で穴を掘ったり、ブランコに乗ったりするようになってきた。
・職員がバナナ、チューリップなどの絵を描くと鉛筆で中を塗りつぶす、横線を描くとまねて描くなど、以前はやらなかった手の活動が出てきた。


5.考察・・・母子関係の発達をもとに順調な進歩
・週2回という限られた保育日数だが、目をみはる程の変化が現れている。まず、母子関係が大きく変化した。母親がいなくとも1人で遊んでいられるようになり、母親に甘えるようになった。入園当時のイライラもほとんど見られない。これは、家庭環境がすっかり安定したこと、母子通園を通してCちゃんに何が必要なのか、どう接することがよいのかなど、母親に育児の方向性と自信がでてきたせいではないだろうかと思われる。Cちゃんを理解しようと努め、受け入れることによって本児のイライラからくる攻撃もしだいに甘えに成長したのだろう。家でも努めてブラッシングを続けたことによって、鈍かった痛覚も正常な範囲に近づきつつある。トランポリン、ハンモックなどに平衡感覚訓練により、以前嫌がっていたブランコも好きになり、グロ-ブジャングルにも乗っている。
・言語の面でも、名前を呼ばれると「はい」と返事できるようになり、「お母さん、おやすみなさい」などと二語文も言えるようになった。兄の影響がよい方向で伸びて来ているように思われる。同年代の子どもと遊ぶ経験からさまざまな刺激が入ってきたためでもあるだろう。それらの影響を受け入れるだけの素地が本児に備わってきたのは、母子関係の充実によるものだと考えられる。今後も感覚障害への働きかけと母子関係の充実に力を注ぎたいと思う。


【感想】
・この事例では、「3日に1度くらいしか声を出さない」Cちゃんが、入園当初はぐずってばかりいたのに、ほぼ半年の通園で表情が豊かになり、二語文まで話せるようになった経過が詳述されている。著者は「目をみはる程の変化が現れている」と述べているが、私も全く同感である。児童相談所は「精神発達段階は軽度~中度遅滞域」と判定しているが、ほとんど声を出さないという問題の要因は、2歳頃「家庭環境に多少安定を欠く事情が生じた」ことが強く影響しているのではないか、と私は思った。その内容は判然としないが、父親との関係が不安定だったかもしれない。Cちゃんは声を出すことは少なかったが、「泣いて訴える」「指差しをする」というコミュニケーションの手段をもっていたこと、また母親との愛着関係は育っていたことが、その後の「目をみはる程の変化」をもたらしたことは間違いない。Cちゃんは8月中旬から絵パズルに興味をもち、4片の構成に取り組んだが「自分の思うところに入らないとき、3回やってみるのだが、しだいにイライラしてきて、おしりを振って“オレンジ”“入らないよー”と大声で泣いて怒り、パズルを後方へ投げ捨てる。母親が教えようとすると怒って攻撃するので、気のすむまで泣かせておいた」という。その《気のすむまで泣かせておいた》という「接し方」が素晴らしいと、私は思った。Cちゃんは、思い切り泣くことで、自分のイライラした気持ちを払拭することができた。だから「投げ捨てたパズルを拾って前に置いてあげると、またやりだし同じことを繰り返す」という結果になったのだと思う。
 子どもが泣いていると、ともすれば「泣きやませよう」としがちだが、ぐずったり、怒ったりして泣いている場合は、「気のすむまで泣かせる」ことが、気持ちの安定につながることが証明されている。
 児童相談所の判定に「自閉的傾向」という診断名はない。したがって、Cちゃんは「環境要因による情緒不安定状態」(場面緘黙)に陥っていたと考えるのが妥当であろう。そうした事例でも、「感覚統合訓練」を通して「母親との愛着関係」を確かなものにすることが、きわめて重要であることがよくわかった。(2016.5.19)