梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・46

《第12章 Eちゃんの場合》(後藤徹男)
1.入園時のようす・・・薬物療法施行中
・4歳3カ月の時、母親と来園。何をして遊ぶでなく、フラフラと歩き回っていた。トランポリンの上では、されるままで、自分から動こうとする意欲はまったく感じられなかった。発声はあまりなく、無表情で笑い声も聞かれなかった。4月なのに、ひどいしもやけが残っていた。
◆児童相談所の判定は、「知的障害に基づく言語遅滞、落ち着きがない。多動、自閉傾向。精神発達段階は最重度領域である。睡眠脳波で各種発作波が出現。現在C市立病院で抗けいれん剤を中心に薬物療法施行中。了解性は乏しく意欲はみられず、呼びかけに反応を示さない。言語は音声のみで奇声が多い。要求は母親の方を見て「ア・ア・ア」と声を出すことがある。うまく走れず、歩行も長続きしない。手は物を持とうとしない。食事、排泄、着衣はすべて介助する。表情は常にニコニコして明るいが、接触性は良好とはいえず、いつも手をたたいて歩き回っている。おもちゃには興味を示さないが、音の出るものは喜ぶ」と記されている。
◆生育歴・相談歴
・父(38歳)、母(30歳)、姉(3歳)、祖父(65歳)、祖母(57歳)の6人家族である。
・出生時、母親は26歳、正常分娩、3260㌘。黄疸は普通。母乳3カ月の後、人工栄養。笑い始め、首の座りは3カ月。生歯9カ月。座る、這う、立つ1歳。始歩1歳5カ月。・4カ月の時、保健所の脱股検診で異常を認め、6カ月間通院治療。
・1歳6カ月の時、妹が生まれる。この頃は、手を使っての遊びや祖母への愛着がみられた。
・2歳10カ月、母は勤めをやめ育児にあたる。表情は明るく常に手をたたきながら声を出し、家中を歩き回る。便意の予告なし。食事は全面介助。言葉がなく「アーアーオーオー」と声を出すだけなので保健所に相談、大学病院で診療を受けたが異状はなかった。耳鼻科で聴力の検査を受けたが異状はなかった。C国立病院で手の骨の検査を受け異状はなかったが、脳波検査で異状が認められた。現在でも、月に1度通院、抗けいれん剤を朝夕2回服用している。
・2歳11カ月から週3回、小学校の言語治療教室で指導を受けている。
◆「遠城寺式乳幼児分析的発達検査」(4歳3カ月時・児童相談所)
・移動運動1歳2カ月~1歳4カ月 ・手の運動0歳1カ月~0歳2カ月 ・基本的習慣0歳7カ月~0歳8カ月 ・対人関係0歳2カ月~0歳3カ月 ・発語0歳3カ月~0歳4カ月 言語理解0歳0カ月~0歳1カ月
◆発達評価
・対人関係:3カ月~4カ月(周囲の人があやすと喜ぶ)
・全身運動:15カ月~18カ月(両手を上げて平衡をとらなくても歩ける)
・手の運動:6カ月~7カ月(手を伸ばして物をつかむ)
・言語表現:3カ月~4カ月(喃語を楽しみ、笑い声を立てる)
・言語理解:3カ月~4カ月(音声や物音が聞こえてくる方に顔を向け、母親の声を聞き分ける)
・視覚機能:3カ月~4カ月(動く物を正中線を越えて180度まで追い、母親の顔を見分ける)
◆母子関係評価(A:育っていない B:育ちつつある C:かなり育っている)
・すべてにおいてAの段階である。
◆感覚診断
◎平衡感覚が鈍い(・トランポリンを喜ぶ ・シーソーブランコを喜ぶ)
◎皮膚感覚が鋭い(・いつでも手をもみ合わせている)
◎皮膚感覚が鈍い(・ブラシあまり感じない ・くすぐると足だけ少し感じる ・バイブレーターはニコニコする)
◎聴覚が鈍い(・大きな音を喜ぶ)


2.指導方針・・・感覚刺激と母子関係の育成
・全般において著しい発達の遅れがみられる。
・母子関係を育てることを重視して、母子通園で努めて母親と一緒に遊ぶようにする。
・多動、自閉傾向に対しては、感覚障害に対する働きかけを重視し、平衡感覚、皮膚感覚に焦点をあて刺激を与えることにする。平衡感覚は、トランポリン、ハンモックなどEちゃんの喜ぶものを主に与える、皮膚感覚は、ブラッシング、バイブレーターなどで行う。聴覚は、音楽などを聞かせる。
・自分から活動するという意欲が感じられず、無表情なことが多いので、刺激の強さなどに注意する。
・運動面など、機能的にはさほど問題なく、Eちゃん自身が自ら動こうとするような意欲を引き出すことを我々の課題とした。


3.経過・・・大きな変化みられず
【7月~8月】
・入園当初は休みがちで、眠っていることが多かった。
・機嫌のよい日は、手をたたきながら、フーフーと息を吹きフラフラと歩き回っていた。・泣いている時、バイブレーターで刺激すると笑いが出るがすぐに消え、固い表情をしていた。
・ブラッシングも嫌がるわけではなく、じっと手を任せている。
・ヘッドホンで音楽をかけるとと気持ちよさそうに聞き入っていた。大きい音の方が表情が明るかった。
・プールでは、水中を静かに移動すれば大丈夫だが、波をたてると怖がった。海でも深い所を怖がった。
・給食はよく食べた。母親がトランポリンやブラッシングをやっても、やはり反応はみら
れなかった。
・夏休み中、家庭訪問したが変化反応を示さなかった。家の外の通りまで、ひとりで歩いて行ったこともあるらしい。妹がよく接しているようである。足の裏をくすぐると、いやがるようになったとうことである。
【8月~9月】
・眠ったままで一日を過ごすことが多かった。
・9月、千葉県障害者相談センターの言語治療士鈴木氏を招いて診断を受けた。「全体の発達の遅れを伴った言語発達遅滞」ということである。「発声は弱く量も少ない。音への関心がみられ、音を探す段階に達している。聴力や発語器官に問題はない。当面は、音源を探させる遊び、吹く遊びをとりいれる」という結果であった。鈴木氏に対して母親は以下のように説明している。「子どもの状態が1歳6カ月の頃より後退しているように思える。以前には、フープを握り、つながって歩いたり、ジャーと言ってポットから水を注ぐまねをした。寝る前には必ず泣いていたが、投薬後、それがなくなった。発作のようなものは気づかなかった」。
・聴力には問題ないということだが、感覚としての統合作用がうまくいっていないのでは、その結果として聴覚が鈍いというふうに見えるのではないかと思っている。
・トランポリン、ブラシ、くすぐりなどを毎日やるようにした。バイブレーターにはあまり反応を示さなくなったが、ブラシは手足同時にやるとニコニコしている。
・泣き声、笑顔が増え、視線が合うようになり、表情にも変化が出てきた。名前を呼ぶと振り返り、他児を呼んでも振り向くなど脇に人がいることを認知できるようになった。
・階段を上る時は母親が一緒だと足を上げるようになってきた。
・音楽指導では、レコードを聞かせるだけでなく、マイクを通して直接呼びかけることをしている(モニター法)。母親が「Eちゃんのイー」というと「イー」と5回くらい繰り返し言っている。
・9月半ばになっても眠っていることが多かった。(薬の量が増えたらしい)
【10月~11月】
◆音楽による感覚訓練(1カ月足らず)のようす
・音楽に合わせての歩行は、母親につられてただ歩いているといった調子で何の変化もみられなかった。
・モニター法ではいつもにない発声が必ずみられ、眠そうな時でも徐々に調子が上がってきている。
・トロンボーンを吹くと時々手を伸ばすこともあり、顔の前で吹くと目を丸くして声を出すこともあった。
・1カ月の音感訓練で、大きな変化は感じられなかったが、表情が明るくなったことは収穫であった。
・薬を減らした結果がよかったのか。保育中に眠ることが少なくなった。
・10月末、トランポリンにのせ30分以上ゆすっていると、今まで聞かれなかったような大声、笑い声が続いた。
・11月、他児が缶をたたいて遊んでいると、いつのまにかそばに来て聞き入っている。頭の上で缶をガンガンたたくと声をたてて喜ぶ。
・他児のかいた絵をじっと見つめることもあった。
◆11月の発達評価、感覚診断、母子関係は、7月に比べてまったく変わっていない。しかし、彼女なりの「見えない変化」は感じられる。
◆今後の指導プログラム(以下の活動を毎日行う)
・柔らかい布でこする。
・トランポリンを20~30分、ハンモック10~20分、くすぐりなどを行う。
・全身運動では、自ら動こうとする意欲を引き出す。
・操作面では、ガラガラなど打楽器で遊ばせる。
・言語面では、レコードを聞かせる・


4.現在のようす・・・ときどききかれるようになった声
・12月になり、しもやけができて痛々しい。
・家では、呼びかけに対し反応が返ってくる。大きな声を出す回数も増え、ブツブツと何か言いながら歩き回っている。単語らしい4種類の発音をしたこともあった。
・ぬいぐるみで手をこすっていると、子どもらしい笑いがよくでていたが、その後、口の周辺がピクピクとひきつった。そしてまた笑い始めた。「発作」だったのだろうか。軽い皮膚感覚刺激を与えると発作がおきやすいというが、そうであったかもしれない。しかし、それ以来、発作らしいものはみられず、母親もけいれん発作かどうかはわからないと言っている。ブラッシングを」やっても、けいれんのようなものはみられない。
・ハンモック、トランポリンは20分以上静かに揺らし続けると。声を出して喜ぶ。一緒に乗っている他児の脚がEちゃんの身体にのったりすると、怒って声を出すことがみられるようになった。最近はEちゃんの声が、ときどき聞かれるようになった。
・食事面では好き嫌いなく何でもよく食べるが、まだ全介助である。


5.考察・・・薬を使用することの重大さ
・入園して半年になろうとしているが、変化はあまり感じられない。しかし、いろいろな刺激に対して、何らかの反応が返ってくる、快・不快の感情表現がはっきりしてきているなどの変化は生じていると思う。
・何がEちゃんの発達を遅らせたのであろうか。1歳5カ月までの遅れは目立たない。2歳過ぎまで母親が勤めていたこと、1歳6カ月の時、妹が生まれたことなどにより育児に専念できなかったことによって、母子関係を育てることができなかったのではないだろうか。2歳後半までは自発的な行動、いたずらなどはあったが、徐々にそうした行動が消えていった時期は、脳波検査で異常が認められ、抗けいれん剤を服用しはじめた時期と重なる。夜泣きがなくなるという投薬の効果がみられてきたと同時に精神活動を低下させる副作用をもたらしたのではないだろうか。
・何がEちゃんの「最近の変化」をもたらしたのだろうか。まず第一に、母親が勤めをやめたこと、妹に手がかからなくなってきたことによって、Eちゃんと接する機会が多くなり母子関係を育てるうえでよかった、次に小学校の言語治療教室での指導、さらに幼児教室での感覚刺激を中心にした療育もあげられる。しかしまだ、これまでの感覚刺激がEちゃんの変化に結びついたかかどうかは判断できない。いまようやく指導方法が見えてきたような段階である。
・ブラッシングなどの皮膚感覚刺激は気持ちよさそうにしているし、トランポリンなど平衡感覚刺激ではとても喜んでいる。刺激の強さよりは継続時間が重要なのではと気づいてから、トランポリンには20分から30分と弱い刺激で長時間のせている。積極的にアプローチすることによって徐々に正常な感覚に近づくであろう。徐々に感覚障害が改善されてくれば、母子関係もさらに育ってくると考える。それに伴って他領域の変化もみせてくれると思う。
・幸い投薬の量が減って以来、調子もよく、母子関係の芽生えも始まり、まわりからの刺激を受け入れるための土壌が、Eちゃん自身に備わってきた段階と考えられる。これからさらに母子関係が育っていくことを期待したい。


【感想】
・Eちゃんの場合は、「薬物療法」の副作用によって「精神発達段階」が「最重度領域」まで低下してしまった典型的な事例である、と私は思う。著者の考察でも「1歳5カ月までの遅れは目立たない。2歳過ぎまで母親が勤めていたこと、1歳6カ月の時、妹が生まれたことなどにより育児に専念できなかったことによって、母子関係を育てることができなかったのではないだろうか。2歳後半までは自発的な行動、いたずらなどはあったが、徐々にそうした行動が消えていった時期は、脳波検査で異常が認められ、抗けいれん剤を服用しはじめた時期と重なる。夜泣きがなくなるという投薬の効果がみられてきたと同時に精神活動を低下させる副作用をもたらしたのではないだろうか」と述べられているが、
その(考えが正しい)ことは、通園3か月後「服薬の量」を減らしたことにより、Cちゃんに大きな変化が現れたことからも明らかである。「薬を減らした結果がよかったのか。保育中に眠ることが少なくなった。10月末、トランポリンにのせ30分以上ゆすっていると、今まで聞かれなかったような大声、笑い声が続いた。11月、他児が缶をたたいて遊んでいると、いつのまにかそばに来て聞き入っている。頭の上で缶をガンガンたたくと声をたてて喜ぶ。他児のかいた絵をじっと見つめることもあった。」という事実がその証しである。
・では、なぜEちゃんは抗けいれん剤を服用するようになったのか、母親が勤めをやめる2歳10カ月まで祖母はどのように育てたか、大学病院耳鼻科や言語治療士・鈴木氏は「聴力に問題はない」と診断しているがその根拠は何か、についてもう少し詳しく知りたいと私は思った。
・著者は療育の経過を「大きな変化みられず」とまとめているが、何よりも「母親への愛着が育ちつつあり、呼ばれると振り向く」ようになったことは大きな前進ではないだろうか。
(2016.5.28)