梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・48

(六)格の転換
 国語の文の構造は、詞が辞によって総括され、それがさらに順次に詞辞の結合したものに包摂されるという入子型構造の形式によって統一されるものである。従って、文の成分を分析し、あるいはこれを統一した文として理解するためには、文における格が、つねに他の格に転換するという事実を知らなければならない。
 入子型構造とは
{《(a)b》 c}
 のような形式だから、bはaを包むものの関係にあるが、同時にcに包まれるものの関係に立ち、bとしては二重の秩序に置かれているということができる。あたかも、連隊長が、連隊の兵士に対しては上官であると同時に、師団長に対しては部下であるようなものである。この際、師団長の部下であるためには、師団長としての部下の兵士に対する関係が存在するということが絶対必要な条件であって、それがなければ、師団長の部下であるという関係も成立しない。言語の格の場合も全く同様である。
一 述語格より修飾格への転換
● (美はしき)色  (流るる)水
 この「美はしき」「流るる」は「色」「水」に対して直接にその語自身が修飾格の関係にたっているので問題はないが、
● 心の(よき)人 水の(流るる)川
 この「よき」「流るる」は、「人」「川」に対して、直接に修飾格に立っているのではなく、それよりも前に、「心」「水」の述語格であることを考えなくてはならない。述語格を成立させる陳述は、その総括機能によって、次のような統一を構成する。
● 心 よし。  《「心」よし》(■) 全体として述語格が付与されるが陳述は零記号である。
 このように、一度統一された述語格は、さらにそれを包摂するももとの関係から、修飾格としての資格が与えられ、それによって、述語格は、主語を包摂した全体として修飾格に転換し、次の詞「人」と新しい秩序に置かれるのである。この場合、修飾格の格付けは別の辞ですることもあるが、述語「よし」の語尾変化「よき」でする。別の辞でする格の転換は次のような例である。
● 賊を討伐(の)事   西光斬られ(の)事
 「討伐」は「賊」に対して述語に立ち、この場合は零記号の陳述の総括機能によって、「賊を討伐」が一つの統一を形作る。さらにこれを修飾格にするために「の」の辞で総括している。「討伐」「斬られ」はそれぞれ体言であって、述語格が必ずしも用言を必要としない。述語格が連体修飾格に転換すると同様に、それはまた連用修飾格すなわち副詞格に転換する。
 述語として用いられた動詞、形容詞は、それ自身の変化で副詞格を表すことができる。● 足(ふみとどろかし)、やって来る。 しづ(心なく)、花の散るらむ。
● 有明の月、まだ夜(深く)、さし出づる程、
● 日(高く)、起き給ひて、
 上の動詞、形容詞は、述語格として、「足」「しづ心」「夜」「日」等の主語、客語を包摂しつつ、全体として下の述語の副詞格の位置に立つのである。
 別の辞でする場合は、
● 絵をかい(て)、日を暮らす。
● 煙が細々(と)立っている。
● 若き人々は、心こと(に)、めであへり。
 等における「て」「と」「に」である。接続助詞が述語格を副詞格に転換することは一般に知られていることである。
● 風吹か(ば)、波立たむ。
● 夏はすずしい(が)、冬は寒い。
● 水清けれ(ば)、大魚住まず。
 上の「吹か」「涼しい」「清けれ」は、「風」「夏」「水」の述語格であって、零記号の陳述が、それらの主語、述語を総括しつつ、さらに「ば」「が」の辞によって副詞格に転換するのである。
二 述語格より主語(客語、補語を含む)格への転換
● 心の「よき」(が)  水の「流るる」(が)
 上の例における「よき」「流るる」は、主語格を表す辞「が」によって主語としての格を付与されるが、「よき」「流るる」がそれだけで主語となる前に、「心」「水」の述語として、それに加えられた零記号の陳述が「心のよき」「水の流るる」全体を総括してこれを述語とし、その後「が」によってさらにこれが主語に転換するという経過をとったと考えなくてはならない。「心よし。」「水流る。」という文においては、陳述の客体全体が、主語を包摂しつつ、述語格と考えられると同時に、またそれを詞としては用言に準ずると考えられるが、ここの「心のよき」「水の流るる」は体言に準ずると考えるのが至当である。
 次に、「に」によって総括された場合を見ると、
● 「芝刈」(に)行く。   本を「買い」(に)行く。
 上の「芝刈」を補語とするなら、同様に「買い」も補語でなければならないが、述語の場合と同様に、後者の場合、「本」は「買い」の客語だから、「に」は「本を買い」全体を総括して、それが「芝刈」と同じ資格で補語といわれなければならない。その場合、「買い」は「本」を客語とする述語として「本」を包摂しつつ、「に」によって補語に転換するのである。このような格の転換と同時に、用言「買い」は、客語「本」を包摂していて、それ全体が、体言に転換していくと考えられる。以上のような転換は、「光る」から「ひかり」「帯ぶ」から「帯」が成立するような、いわゆる品詞の転成と同様に考えてはならない。転成によってできた語は、一つの文中においては、その語性は必ず一方に決定されているが、転換は、同一の語の二重職能をいうのである。
 このような格ならびに品詞の転換ということも、畢竟、国語の入子型構造形式がもたらす必然的な結論であるといえる。
三 相対格より独立格への転換
 相対格とは、主語、述語、修飾語、客語、補語等の客体的なものの秩序を表す格である。詠嘆、命令、希望等の辞が、これを受けるものを総括して独立格に転換させることについてはすでに述べたので、省略する。
【感想】
 ここでは「格の転換」について述べられている。著者はまず、述語格が修飾格に転換する例として、①美はしい色 流るる水、②心のよき人 水の流るる川、③賊を討伐の事、④足ふみとどろかし、やって来る。⑤絵をかいて、日を暮らす。 煙が細々と、立っている。⑥風ふかば、波立たむ 夏は涼しいが、冬は寒い等を挙げている。①では述語格の「美はしい」が「色」を修飾し、「流るる」が「水」を修飾している。②は、述語格の「よき」「流るる」が主語「心」「水」を包み込みながら「人」「川」を修飾している。③では、述語格の「討伐」が客語の「賊」を零記号の陳述の総括機能によって「賊を討伐」と統一し、さらに「の」という辞で総括して「事」を修飾している。「討伐」は体言だが、述語格は必ずしも用言を必要としない。④では、述語の動詞「ふみとどろかし」がそれ自身の変化で副詞格に転換し、「やって来る」を修飾している。⑤では、「て」「と」という、接続助詞が「かく」「細々」という述語格を副詞格に転換して、「日を暮らす」「立っている」を修飾している。⑥では、「吹か」「涼しい」という述語格を、零記号の陳述が総括しつつ、さらに「ば」「が」の辞によって副詞格に転換し、「波立たむ」「冬は寒い」を修飾している。
 次に述語格が主語格、客語格、補語格に転換する例として、①心のよきが 水の流るるが、②芝刈に行く。 本を買いに行く。を挙げ、①では述語格の「よき」「流るる」が主語格を表す辞「が」によって主語格に転換すること、②では、「に」によって、述語格の「芝刈」「本を買いに」が補語格に転換すること、が述べられている。  
 私はこれまで「絵をかいて、日を暮らす」「夏は涼しいが、冬は寒い」「本を買いに行く」などの文では、絵を描くことと日を暮らすこと、夏は涼しいことと冬は寒いこと、本を買うことと行くことを「並列的」に読解していたが、国語の理解という点では誤りであることがよくわかった。
 しかし、それらの文を「入子構造形式」で図示すればどのようになるかと問われても、答えることは容易ではないと思った。(2017.11.17)