梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・40

 以上、辞の中で活用のある動辞(助動詞)と詞との転換について述べたが、次に活用のない静辞(助詞)の詞との転換について述べる。 
 「はかり」は元来詞として体言的に用いられる語である。
● いづくを(はかり)と我も尋ねむ。
● 三月(ばかり)も空うららかなる日。
● 雨が降った(ばかり)は道が悪い。
 上は、限界、目標を意味するが、やがて辞に転じては、ある事物を限定し目標とする主体的立場を表す。
● 雨(ばかり)降る。
● 本(ばかり)読む。
 主体の限定し目標とするものが「雨」「本」等であることを表す。
 「くらい」も同様に、
● 本を読む(くらい)はいいでしょう。
● この(くらい)できました。
 上は、程度を意味する詞だが、辞として詞に付いた場合は、主体の詞に対するおぼろげな限定を表す。
● 昨日(ぐらい)着いているはずです。
● これ(ぐらい)は何でもありません。
 前者と比較してこれを図解すれば、次のようになる。
● この(くらい)できました。・・・・《「この」くらい》 「できる」の主語は「くらい」である。
● これ(ぐらい)何でもありません。・・・《「これ」ぐらい》 「何でもありません」の主語は「これ」である。
 「だけ」も同様に、
● ものおもふ心の(たけ)ぞしられけるよなよな月をながめあかして。
● (たけ)たかし。
● (たけ)ぞ少し劣りてもゆく。
 具体的には物の「高さ」「長さ」であり、抽象的には物の「程合い」の意味だが、辞としては主体が物を計ることを表す。
● これ(だけ)読んだ。
● 見る(だけ)は見た。
 「かぎり」「きり」も同様である。
● かく(かぎり)の様になり侍りて。
● 御身はいとあらはにて、うしろの(かぎり)に着なし給へる様。
 上は、限界を表す詞であるが、やがてそれはある事物を「かぎる」ことを表す辞となる。● 今日(かぎり)止める。
● これ(きり)《これっきり》見せない。
 「ゆり」は、
● 路の辺の草深百合の(ゆり)にとふ妹がいのちを我知らめやも(「万葉集」)。
● ともし火の光に見ゆるさ百合(ゆり)も合はむと思ひそめてき(同上)。
● さゆり花(ゆり)も逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ(同上)。
 上の「ゆり」は、後(のち)の意味を表す詞だが、これが辞として用いられる時、その語形も「ゆ」「より」となり、意味もある事物を「後にする」という主体的立場を表す。● 田子の浦(ゆ)打出でて見れば
● 神代 (より)いひつてけらく
 以上、述べたように詞辞の語性の転換ということは、極めて微妙であって、時にはその差異を見出すことが困難な場合があるが、
イ この(くらい)できます。
ロ これ(くらい)できます。
 の例でもわかるように、イの場合は、できる程度についていったのであり、ロの場合には「これだけ」「こればかり」「これさえ」のように「これ」という事物に対する主体の限定の表現であって、このような理解の差異を文法的に表現する方法は、一方を詞、他方を辞として考えることである。なお詳細に検討すれば、ロの表現それ自身が、アクセントの相違で一つは程度の概念を表し、他は主体の限定を表現していると考えられるから、上の例の「くらい」に詞辞の別を認めることは当然必要とされるのである。
● 一日かかれば、これ(くらい)はできる。程度すなわち詞、「くらい」にアクセントがある。
● あれに較べれば、これ(くらい)は恐ろしくない。限定すなわち辞、「これ」にアクセントがある。 


【感想】
 ここで著者は、助詞の「はかり」「くらい」「だけ」「かぎり」「きり」「ゆり」等の、詞としての用法と、辞としての用法を比較対照して説明している。「雨が降ったばかり」の「ばかり」は限界を表す詞だが、「雨ばかり降る」の「ばかり」は主体が「雨」を限定する辞である。「このくらいできました」の「くらい」は程度を表す詞だが、「これぐらいは」の「くらい」は主体のおぼろげな限定を表す辞である。「だけ」も同様に、「たけたかし」の「たけ」は高さ、長さを表す詞だが、「これだけ読んだ」の「だけ」は主体が物を計ることを表す辞である。「かぎり」「きり」も、「かくかぎりの様になり侍りて」の「かぎり」は限界を表す詞だが、「今日かぎり止める」の「かぎり」は、主体が事物を「かぎる」ことを表す辞である。「ゆり」も万葉集等では「後」の意味を表す詞として用いられているが、山部赤人の有名な「田子の浦ゆ打出でて見れば」の「ゆ」のように「後にする」という主体的立場を表す辞に転換しているということであった。
 著者も「詞辞の語性の転換ということは、極めて微妙であって、時にはその差異を見出すことが困難な場合があるが・・・」と述べているように、私にとっては極めて理解困難な事例であった。
 同じ「これくらい」であっても「これくらいはできる」の「くらい」は程度を表す詞であり「これくらいは恐ろしくない」の「くらい」は限定を表す辞である、という説明も、そう言われて初めてわかることであり、説明なしに「詞か、辞か」と問われても正確に答える自信はない、というのが率直な感想である。著者は、次に辞と接尾語の本質的相違について論述する。今まで以上の興味をもって読み進めたい。(2017.10.28)