梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

タブレット純の《魅力》

 タブレット純は、知る人ぞ知る、女装のお笑い芸人である。かつて歌手・田渕純として「和田弘とマヒナスターズ」に属したこともあったが、解散後、浅草東洋館に出演する時にタブレット純と改名した。「ムード歌謡漫談」というジャンルを開発し、昭和世代に根強い人気がある。語り口は女性的で、小声の控えめ、受けようとして大声を出すことは、めったにない。生え抜きのムード歌謡はもとより、自作の曲も巧みに唄いこなす。アジフライ定食の小ささ、エビフライの少なさを嘆く「哀愁の昭和食堂」、のり弁当に載る白身魚をいとおしむ「愛しのメルルーサ」、コンビニ弁当の中で総菜とご飯が混ざらないようにさえぎる模擬バランを謳った「行け!人造バラン」などの作品は出色である。一発芸としては、大沢悠里、吉田照美、伊東四朗、美輪明宏、藤田まこと、丹波哲郎、安倍晋三らの声帯模写を、自作の肖像画を掲げながら披露する。渥美清の「男はつらいよ」も定番だ。
 これまでお笑いのピン芸人として牧野周一、牧伸二、東京ぽんた、ケーシー高峰、早野凡平らが、それぞれの個性で輝いていたが、では、タブレット純の魅力とは何だろうか。一口で言えば、「変幻の妙」とでも言えるのではないか、と私は思う。特に「語り」の場面から「歌唱」への変化は、別人と思われるほどに、鮮やかである。「多重人格」と称される所以でもあろう。また、声帯模写に似顔絵が加えられることによって、まるで絵が語り出したように、人物の特徴が強調される演出も見事だ。今はやりの「大声」「早口」「奇抜な動き」「大げさな表情」などで客を惹きつけようとするのではなく、一見すると「どうでもいい」ような投げやりな空気の、あくまで控えめな「引いた演技」も魅力的である。
 極めつきは、彼自身の「変身振り」(進路)であろうか。宮史郎(ぴんからトリオ)、宮路オサム(殿様キングス)が「お笑い」から「歌手」に転向したのとは正反対、「歌手」から「お笑い」へ転向したが、まさにその「変身」こそが、タブレット純の真骨頂ではないだろうか。 
(2023.7.22)