梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

今は昔、教員の「第一歩」

 ふと、昔のことを思い出した。昭和43年(23歳)のことである。当時、私は小学校助教諭の初任時代、4年生の担任であった。学年は3クラスで、私の担当は1組。学年主任の話。「手のかかる子、問題のある子はみんな自分のクラスに入れたから、1組は《つぶよりのクラス》、安心して指導に当たりなさい」。右も左もわからない初心者にとっては全く有難いことであったが、夏休みも終わり、2学期始業式の日、赤児を背負った母親が、鼻を垂らした女の子を連れて来た。1組への転入生である。母親の話。「先生、うちの子は知恵が遅れています。どうかよろしくお願いします」。私は心の中で叫んだ。「えっ?それは困る。せっかく《つぶよりのクラス》でまとまっているのに、その空気が壊れれしまう。第一、初任の自分に、そんな子の指導なんてできるはずがない!」さっそく、その旨をある「先輩」に訴えたところ、以下のとおり返答された。「あなたは教員として《失格》、ただちに退職すべきです。子どもは教員を選べない。それなのに、教員が子どもを選んでどうするのです。いいですか、あなたが《つぶより》だと思っている子どもたちは、あなたのことなんか必要としていませんよ。あなたなんかいなくたって、立派に成長していけるんです。あなたのこと必要としているのは、まさにその女の子のような子どもたちであることを肝に銘ずべきです。教育公務員に課せられている『全体の奉仕』とは、そのことに他ならないのだから・・・。」私は、その言葉ひとつひとつを今でも忘れられない。以来35年、なんとか教員生活を続けられたのは、その「先輩」、加えて「その女の子、お母さん」に出会えたおかげだと思っている。
(2009.10.16)