梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

79回目の誕生日

 今日は79回目の誕生日である。去年もそうだったが、「よくも長生きしたものだ」という気持ちでいっぱいだ。同世代の人々が、次々と旅立って逝くのを見ると、言いようのない寂しさにおそわれる。小林旭は「いい奴ばかりが先にゆく どうでもいいのが残される」(「惚れた女が死んだ夜は」(詞・みなみ大介 曲・杉本真人)と歌ったが、自分などは「どうでもいい」とつくづく思う。
 78歳を迎えた時、今後の課題として「世代間の溝を埋める」ことを目指したが、簡単には実現しない。22歳になる孫娘からは「自分の物差しだけで測らないように」「自分の価値観を押しつけないように」と忠告され続けてきたが、その悪癖は今もなおらない。旧友が『ジャンケンの法則』(橋本英明)という本を著した。「人間は本来、勝手な生き物である。今、観ている世界を実在と見なす。」と帯に書いてある。そのような、自己中心的な世界観を著者は「独自世界観」と名づけ解説している。この本の内容を読み解くことも、重要な課題である。
 毎日、決まった時間に起き、決まった物を食べ、決まったことをして、決まった時間に寝る、といった「判で押したような」生活をしないと、体調が崩れる。それは夜中も同じことで、夜10時の就寝から、朝7時の起床まで、睡眠持続は2時間、4時間、3時間(計9時間)と決まっている。眠りは浅いので、必ず「夢」をみる。それは第1部、2部、3部と続くが、誰が登場してどんなことをしたのか、起床後はほとんど忘れてしまう。しかし、若い時のような悪夢ではないことはたしかであり、それだけが救いだ。時には、とうに鬼籍に入った人々も出てくるので、昔を懐かしむ楽しみもある。夏目漱石は夢を素材に「夢十夜」を綴り、黒澤明も「夢」という映画を残したが、さすが芸術家だ、「夢」も無駄には見ていない。ただ、私の「夢」も、昼間の生活のように「決まり切って」はいない。だから、毎夜が楽しみである。
 昼よりも真夜中、しかも「夢」の中で私は生きているのだろうか。4年前に観たテレビ番組を思い出す。105歳になった篠田桃紅氏が語っていた。①自分は今「生と死の中間ぐらいに居て、半分死んでいる」、②自分の身体が思い通りにならなくなった。そのことで私は自然の一部になった。私(の生死)は自然の成り行きにすぎない、③人は結局、孤独であり、誰かにわかってもらおうなんて甘えてはいけない。④一番いけないこと、ばかばかしいことが戦争だ、等々。(「篠田桃紅105歳を語る 衰えても日々新たなり」・NHK) 少しでもその境地に辿り着けたらと思う。
(2023.10.25)