梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

テレビのCMに登場する子どもたちの《出演料》

 子どものための「児童憲章」は、1951年5月5日に制定された。その全文は以下の通りである。


 《われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。》


 しかし、それから70年近くになろうとしている今、日本の子どもたちの現状はどうであろうか。残念ながら、大人たちの社会が「弱肉強食の競争社会」と「優勝劣敗の価値観」を克服できないため、「児童憲章」に掲げられた崇高な理念は、ますます空文化しているように思われる。両親による虐待やネグレクトは後を絶たず、子ども同士の「いじめ」も頻発している。 
 そんな折り、私が看過できないのは、テレビのCMに登場する子どもたちの姿である。彼らは、大人の都合で、金儲けの手段(商品の売り上げ向上)のために、乳児段階から利用(出演)させられている。はじめは、顔を出すだけ、笑うだけ、泣くだけ、といった「表情」による表現を《強いられ》、次第に「歩く」「飛ぶ」「跳ねる」「走る」「寝る」などの「動作」も加わり、しまいには(幼児・学童段階になると)「台詞入りの演技」まで要求される。
 テレビのCMに子どもを出演させている大人たちよ、恥ずかしくないか。そんなにまでして、商品を売りたい(視聴率を上げたい)か。売り上げを伸ばしたいか。そのことによって、子ども自身がどんなにスポイルされるかを、考えたことがあるか。
 「児童憲章」において、子どもが働くことは禁じられてはいない。しかし、「その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。」とされているではないか。制定当時の社会に比べて、現代の社会が大きく変貌しているとはいえ、大人の営利追求のために子どもが利用されることは、「児童としての生活がさまたげられ」ていることに他ならない、と私は考える。
 ちなみに、テレビのCMに出演する子どもたちの報酬(出演料)はいかほどか?関係者は、それを誰に支払っているか?具体的に説明していただきたい。
(2019.10.11)