梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

再会

 小学校時代の旧友T君、M君と武蔵野線新松戸駅で合流、タクシーで北小金の本土寺に向かった。ちょうど1年前の今日は、T君の自宅に近い深大寺を訪れていた。1年ぶりの再会を果たすことができたのだが、Y君は鬼籍に入った。さびしさはぬぐえない。でも、まだK君は健在だ。11年前に脳梗塞で倒れ、車椅子の生活を余儀なくされているものの、T君からの電話に元気に応えているそうだ。小・中学校の同窓会名簿にも物故者が増えつつある。そういう時代になったことを三人で噛みしめた。
 本土寺は「あじさい寺」とも呼ばれるが、まだその季節ではなく境内は閑散としていた。しかし池の畔の藤棚は満開、周囲の木々の緑も実に鮮やかであった。ゆっくりと「順路」にしたがって1周すると、さすがに疲れた。「またタクシーで戻ろう」と、T君が(先刻の運転手から入手した名刺の先に)電話するが「そちらの方面には空車はありません」と断られた由、「こんなことは初めてだ」と憤慨していた。「そうだろうよ、松戸というところは《魔が集う》ところだから・・・」と慰めるほかはない。「では、ゆっくり駅まで歩こう」ということで三人は移動を始めた。これまでなら、「ほんの一またぎ」と感じていた参道が長い、長い。I君の膝には人工関節が入っている。私もまた脊柱管狭窄症で持続歩行がおぼつかない。休み休みしながら、ようやく北小金駅に到着。そこから電車で再び新松戸へ、やっとの思いで、駅前の(24時間営業の)居酒屋個室にたどりついた。「やれやれ」と言いながら生ビール(私は日本酒1合)で乾杯、世間話や昔話に花を咲かせることができた。T君は機械塗装会社の社長、I君は北海道から九州まで日本の橋梁工事を手がけた土木技術者ということで、私のような「キリギリス」ではない。にもかかわらず、愚にもつかぬ私の与太話に耳を傾けてくれるのだから、ありがたい。海鮮盛り合わせを肴におよそ2時間余り、梅茶漬け、握り寿司で〆、「また8月に会おう。秋にはK君の居る高崎まで行こう」と約束して、午後3時には解散となった。
 「病人」から「老人」への道すじが見えてきたようである。
(2019.4.28)