梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

父のレコード・6・十五代目市村羽左衛門(1)

 二代目・市川左團次と並んで、よく「聞かされた」役者は、十五代目・市村羽左右衛門
であった。左團次の芸は、彼自身の実力に根ざした「個人芸」だったが、羽左右衛門の芸は、相手役者との「絶妙の間」(コンビネーション)が魅力であったと思う。
 巷間にLPレコードが出回り始めた頃(昭和20年代後半)、父は初めて「歌舞伎劇 名優の思い出」というLPレコードを買ってきた。SPレコードはは78回転だったが、LPレコードは33.3回転で、針も取り替えない。宝物のように、父は大切にしていた。これまでのSPレコードで、私は「三人吉三」のお嬢吉三、「直侍」の片岡直次郎を演じる羽左右衛門の口跡を鑑賞していたが、そのLPレコード(「歌舞伎劇 名優の思い出」)には、「お祭り左七」(小糸殺しの場)、「め組の喧嘩」(辰五郎内の場)、「白浪五人男」(勢揃いの場)、「与話情浮名横櫛」(玄治店)が収録されていた。
 「三人吉三」は冒頭で「月も朧に白魚の篝も霞む春の空、冷てえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと・・・こいつは春から縁起がいいわい」という名文句を羽左右衛門のお嬢吉三が唱えているところに、十三代目守田勘弥のお坊吉三が「割って入り」、娘から強奪した百両を横取りしようとする。二人が争っていると、まもなく七代目松本幸四郎の和尚吉三が仲裁に入り、三人は義兄弟の契りを結ぶという場面だ。所詮は、悪党の談合に過ぎないのに、よくも江戸時代の人々は(昭和中期の人々まで)犯罪人の数々をもてはやしたものだと思う。「直侍」もまた悪党の片割れである。悪事が露見して逃亡の身、恋人の三千歳に最期の別れをしようと、(雪の降りしきる)入谷の畦道を急ぐ直次郎(市村羽左右衛門)、それを呼び止める者が居た。悪党仲間の暗闇の丑松(七代目坂東三津五郎)だ。「オレを呼ぶのは誰だ」「兄貴、オレだよ」「誰だ!」「丑松だよ」「・・・おお、よく似た声だと思ったが、それじゃあやっぱり丑松か」。丑松は直次郎に行き先を尋ね、直次郎が浅草だと告げると、「あっちに行くのはよしにしねえ」と忠告する。捕り手が網を張って待っているという。久しぶりに巡り会った二人は「どこぞで一杯やりてえが、街と違って入谷じゃあ、食い物店は蕎麦屋ばかりだ」「天か卵の抜きで飲むのも、しみったれれな話だから」「祝い延ばしてこのままに」「別れて行くも降る雪より・・・」・・・・「おおおお、それじゃあ兄貴!」「丑やい、達者でいろよ」といった《やりとり》を残して別れたが・・・。(その後、丑松は直次郎の行き先を密告するという筋書きは、小学生の私には知るよしもなかった)
 羽左右衛門と三津五郎の「台詞回し」は、声といい抑揚(節回し)といい、まさに「音曲」の域にまで達していた。さればこそ、あれから60余年を経た今でも、私は諳んじることができるのである。(2019.4.24)