梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

安倍首相の《忖度》

 東京新聞4月6日付け朝刊(1面)のトップ記事は『塚田副大臣を更迭 「忖度」首相、擁護一転」という見出しであった。要するに《道路整備を巡り「安倍晋三首相や麻生太郎副総理(兼財務相)が言えないので、私が忖度した」と発言した問題の責任を取って辞任した》という内容である。安倍首相は3日前(4月3日)、衆院内閣委員会で「発言は問題だが、本人がしっかり説明し、このことを肝に銘じ職責を果たしてほしい」と述べ、野党の罷免要求を拒否した。さらに2日前(4月4日)の参院決算委員会でも罷免を拒んだ。にもかかわらず、擁護を一転し、辞任を認めたのはなぜだろうか。いうまでもなく「与党からも更迭を求める声が出始め」たからである。一国の首相が、公の場(国会)で口にした文言(「判断」)が容易に覆されることは、国民に対する裏切りであり、決して許されない。塚田副大臣もまた「事実と異なる発言」を認めたとすれば、議員辞職は免れられない。さらに言えば、「事実と異なる発言」であったかどうかも疑わしい。その発言自体が「事実と異なる」可能性は大いにある。そのあたりを野党から追及される前に、「首を切ったほうがよい」と与党の実力者が判断したのだろう。では、安倍首相は、なぜ副大臣の罷免を2度まで拒んだのだろうか。これもまた、いうまでもなく麻生副総理の意向を《忖度》したからである。安倍内閣の「忖度」は、首相自らが「手本」を示している。森友・加計問題でも、事実が明るみに出るまでは、安倍首相が籠池氏、加計氏の意向に従っていたことは明らかだ。
 いずれにせよ、安倍首相の「政治生命」は2年前、すでに絶たれているのに、いまだに「存続」しているように見えるのはなぜか。今回の更迭劇をみれば明らかなように、安倍首相は、与党実力者(有象無象)の「操り人形」として、あっちへふらふら、こっちへふらふら、彷徨っているだけの存在になってしまったからである。安倍首相は、部下の塚田副大臣が「どこで、どんな話をしたか」全く知らずにいたということが、その証拠である。表舞台に登場しない実力者にとって、安倍首相ほど御しやすい人物はいないだろう。なぜなら、彼自身はつねに自己喪失、「他人の受け売りと他者への忖度」だけで身を処してきたからである。
 「安倍一強」というイメージは、まったく「事実と異なる」。そのことを一番よく知っているのが安倍首相本人であることは間違いない。
(2019.4.6)