梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

童話・「自分の敵」

 私が小学校三年の時のことです。幼稚園の頃にはあんなに仲良しだったアツシ君が、今はこわいのです。登校の時、「おはよう」と言っても、黙ってにらむだけ、学校の廊下でも私のことを「あっちへ行け」と言って、押しのけたりします。そのことが原因で、私は学校を休むようになりました。「学校へ行かないことは悪いことだ」と思うのですが、おなかや頭が痛くなり、どうしても行けません。お母さんは心配して担任の先生に相談しました。先生も心配してアツシ君に話してくれたのですが、様子はいっこうにかわりません。とうとう三年の三学期は一日も学校に行けずに終わりました。
 四年生になり、担任の先生が変わりました。私はがんばって登校しましたが、やはりアツシ君の目がこわくて、どうしても家を出ることができません。まもなく家庭訪問がありました。その日はお父さんも会社を休んで、先生と話し合うことになりました。私は隣の部屋でその話し合いを聞いていました。
 先生は、しばらくお母さんと話をしていましたが、お父さんが口をはさみました。
 「ところで、先生。うちの子どもには友だちが何人いますか?」
 先生は、しばらく黙ってから、すまなそうに答えました。
 「これは私の責任ですが、友だちは見当たりません。休み時間は、いつも一人で教室の席に座っています。」
 それを聞いて、お父さんは言いました。
 「そうですか。先生、うちの子に友だちがいないことを初めて知りました。友だちができないような育て方をしたのは、私たち親の責任です。御心配をおかけして申し訳ありませんでした。」
 先生が帰った後、お父さんはお母さんに言いました。「先生にすまないことをしてしまった。今まで子どものことはまかせっきりで悪かったね。心配して大切にしすぎるから、あの子は甘えてしまうんだ。弱虫になってしまうんだ。」 
 お母さんは「そうかもしれない・・・。心配しすぎた私がいけなかったんです。ゴメンナサイ」と謝りました。お父さんは「悪いのは私の方だ」と言って黙りました。しばらくすると、泣き声が聞こえました。お母さんが泣いていました。お父さんも泣いていました。隣の部屋で、私も泣きました。「・・・、そうなんだ、私は甘えていたんだ。弱虫なんだ。みんなアツシ君のせいにしていたんだ。私のバカ、バカ。お父さんもお母さんも、私のことを心配して泣いているんだ。」《そんなことでいいのか!》という自分の声が聞こえてきました。《いけない!そんな甘ったれではいけない、そんな弱虫ではいけないんだ》と、私は心の中で叫びました。
 すると、勇気がわいてきました。涙が止まりました。心がすっきりとして、隣の部屋のドアを開けました。そして、お父さんやお母さんに向かって言いました。 
 「お父さん、お母さん!心配かけてごめんなさい。明日から学校に行きます。私は自分に負けていたのです。もうだいじょうぶ、弱音を吐きません!」 
 泣いていたお父さんとお母さんが、ビックリして私を振り返りました。見る見る二人の顔が輝いて、お父さんとお母さんが手を取り合いました。そして、私を抱きしめました。二人の涙が、私の頬を伝って流れました。
 次の日、私は朝早く飛び起きて、学校へ行く準備をしました。顔を洗いながら鏡を見て「もう、だいじょうぶ」と笑いかけました。鏡の顔も明るく笑っていました。
 登校の時、アツシ君に会いました。「オハヨウ!」と言って手を振りました。アツシ君はきょとんとしていましたが、追いかけてきて「オハヨウ!」と返事をしてくれました。教室に入り、先生に大きな声で「おはようございます」と挨拶をしました。先生もニッコリして「オハヨウ!」と答えてくれました。私の心は弾んでいます。今までは「みんなは私のことをどう思っているんだろう」ということばかり考えていましたが、今日からは違います。「私は今のままでいいんだ。今の気持ちをそのまま、みんなにぶつけていけばいいんだ。そうすれば必ず誰でも応えてくれる」ということがわかったのです。
 ミサエさん、ノリコさん、サエコちゃん、チサトちゃん・・・、みんな、みんな私の友だちです。「遊ぼう」と誘うと「いいよ」と言って、手をつないでくれます。休み時間には、縄跳び、ジャングルジム、鉄棒、鬼ごっこをして遊びます。時には、男の子、先生まで一緒になってサッカーやドッジボールもします。  
 もうだいじょうぶです。私は負けません。大人になっても負けません。自分の敵は自分であることを学んだのですから・・・。(2017.5.31)