梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「桐龍座恋川劇団」(座長・恋川純弥)

【桐龍座恋川劇団】(座長・恋川純弥)〈平成21年5月公演・浅草木馬館〉                                        表看板に「今日の演目 瞼の母」とあるのを見て、飛び込んだ。この芝居、いわば大衆演劇の「原点」(必須演目)で、その出来栄えを見れば、劇団の「実力」がわかろうというものである。これまで、私は若葉しげる、大川竜之助、春川ふじおの「芝居」、光城直貴、鹿島虎順の「舞踊」、森川凜太郎、鹿島順一の「歌唱」などを見聞しているが、さて、今日の舞台は如何、いやが上にも期待は高まり、胸躍らせて開幕を待った。
 配役は番場の忠太郎・恋川純弥、金町の半次・恋川純、その母・鈴川純加(好演)、水熊女将お浜・鈴川桃子、その朋輩(夜鷹)おとら・恋川白峰といった面々で、申し分ない。筋書は二葉百合子の浪曲(脚色・室町京之介)をなぞる趣で、開幕直後の景色が秀逸であった。とりわけ、弟分・金町半次を堅気にさせるため飯岡一家と渡り合う、忠太郎の「太刀捌き」(殺陣)は、かつての「新国劇」を彷彿とさせる勢いで、「お見事!」という他はない。その鮮やかさにおいては、斯界ナンバーワンの「実力」と言えるだろう。半次の母との「絡み」も「風情たっぷり」で、忠太郎の(まだ見ぬ母への)「慕情」が、しっとりと、そしてほんのりと描出できていた。二景、水熊店先、夜鷹おとらの風情も格別、さすが劇団の太夫元、忠太郎に銭を貰って「相好を崩す」場面、水熊の使用人(大門力也)から夜鷹だとさげすまれ、「ふうん、じゃあお前はあたしの客だったんだね」とやりかえす場面など、「天下一品」の出来栄えであった。いよいよ三景、水熊の座敷にあがった忠太郎と、女将お浜とのやりとり・・・。聞けば、鈴川桃子と恋川純弥は「実の親子」だそうな・・・。ホンマカイナ?「実の親子」だからとって、親子の「景色」が描出できるとは限らない。この「母」は、一景、半次の母に比べて「若すぎた」。朋輩おとらに比べて「若すぎた」。半次の母は堅気、おとらは夜鷹、それに比べてお浜は料亭の女将、化粧・衣装が「艶やか」なのは当然だが、「母」としての「色香を抜いた」風情が不可欠。子を思う母の「心根」が今ひとつ感じられなかったのは、私だけかもしれないが・・・。
 この芝居、いうまでもなく主役は番場の忠太郎だが、それ以上に水熊お浜の「存在」が重く、どの劇団でもその配役に苦慮している様子が窺われるが、私が見聞した限りでは、「劇団翔龍」(座長・春川ふじお)の重鎮(後見)・中村英次郎の「お浜」がピカイチであった。しかも、彼はその舞台で、半次の母との二役を演じ分ける「見事な活躍」、水熊の座敷では、「表情」「所作」だけで(立派に)「親子名乗り」をしてしまう、といった「至芸」を見せてくれたのだから・・・。
 大衆演劇の必須演目「瞼の母」の出来栄えは、誰が水熊女将・お浜を演じるかによって決まる、といっても過言ではない。今回の舞台、「お浜(鈴川桃子)の若さ」によって「画竜点睛を欠く」結果になってしまった、と私は思う。この役は鈴川純加に譲り(二役)、鈴川桃子を、もうひとつの必須演目「一本刀土俵入り」のお蔦役に配してみたら・・・、などと勝手なことを想いながら、帰路についた次第である。
(2009.5.10)