梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団荒城」(座長・荒城真吾)

【劇団荒城】(座長・荒城真吾)〈平成21年11月公演・柏健康センターみのりの湯〉
    この劇団の特長は、普段は「月並み」「水準並み」の舞台に終始しているのに、ある時「突如として」(突然、炎のごとく)、珠玉の舞台、国宝級の至芸を描出できるという「実力」を兼ね備えているという点であろうか。(これは私の邪推、ゲスの勘ぐりだが)、その日の舞台は、座長の「気分次第」というように思えて仕方がない。「やれば出来るのに・・・」という思いを何度したことか。極言すれば、その日の舞台を良くするのも悪くするのも「座長次第」、まさに座長の権力は絶対、と言う空気が濃厚なのである。そんなことは、どこの劇団にも当てはまるに違いない。ただ、そのことがあまりにも「顕著に」ということは、つねに「裏表のない」正直な劇団だとも言えそうである。  とまれ、今日の舞台(芝居)は、文字通り「突然、炎のごとく」といった出来映えで、たいそう面白かった。芝居の外題は「富くじ千両旅」。三年の年季奉公を終えた若者・新吉(大隅和也)が、江戸から故郷・小諸に帰る道、とある船着き場で、道中姿の旅鴉(姫乃まさかず)と巡り合う。旅鴉が人なつっこく、新吉に話しかけるが、どこか「うわの空」、それもそのはず、新吉の腹巻きには「富籤千両の当たりくじ」が納められていたのだ。当初は旅鴉を「敬遠」しがちだった新吉だったが、徐々に「気心も知り合った」という風情で真相を明かす。あわてたのは旅鴉、「そんな話を滅多に口にしてはいけねえよ。俺には関係にけれど・・・」といった「やりとり」が、何とも清々しく「絵になっていた」。やがて船が到着、二人は乗り込もうと上手に退場、それを追いかけるように三人の遊び人(姫川豊、姫乃ゆうま、荒城蘭太郎)と、一人の素浪人(座長・荒城真吾)が通り過ぎて幕。実を言えば、この素浪人、私は最後まで誰が演じているのか判然としなかった。多分、座長だろう、座長の他にはいないはずだと思いながら、それでも「本当に座長だろうか?」という思いが強かった。なぜなら、その素浪人、一言で言えばあまりにも「かっこ悪い」(無様な)容貌だったかたである。顔はノーメイクに近く、立ち居振る舞いは、どこか「ぎこちなく」、着物もほこりだらけ、といった風情で、全く見栄えがしない。でも、その姿こそが「舞台気色」のポイント、なくてはならない存在なのである。いうまでもなく、素浪人は「仇役」、新吉の当たりくじを奪い取ろうと江戸から尾行してきたのだ。遊び人三人と結託の相談が成立、いよいよ「新吉殺し」の迷場面、通常なら「単なる愁嘆場」だが、今日の舞台はさにあらず、素浪人の「殺しぶり」が「堂に入っていた」。二回ほど、「素手で」切り倒し、「まだ、斬っちゃあいない」と言いながら、最後は「抱きかかえて刺し殺す」、殺した後でも「頭の皮、剥いでやろうか」などと息を切らせて叫ぶ姿が、何とも「おかしく」、凄惨さを感じさせない(喜劇的な)演出が素晴らしかった。悪は悪、殺しは殺し、でも所詮は「遊びの世界」(絵空事)といった「割り切り方」が、なんとも「かっこよく」、そこらあたりが、座長、「劇団荒城」の魅力なのだということを、あらためて納得・得心した次第である。 
 私が初めて「劇団荒城」の舞台を見聞したのは、川崎・大島劇場、当時は「座長不在時」(膝負傷・治療中)で、勘太郎を中心に姫川豊、光條真、大隅和也、姫乃まさかず、荒城蘭太郎、月乃助らが芝居(多分、外題は「浮草物語」)、舞踊(荒城蘭太郎の面おどり「麦畑」は今も私の脳裏に焼き付いている)に「熱気ある舞台」を務めていた。この劇団、文字通り「役者は揃っている」。あとは、座長の「采配・按配」次第、みずからは「後方支援」で、今日のような「汚れ役」「仇役」「三枚目」に徹し、座員各自の「実力」「魅力」「持ち味」(個性)をどこまで「輝かせることができるか」、そのことが今後の課題である、と私は思う。
(2009.11.10)