梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・31

《其三信夫国造》
【要点】
 信夫国は後の信夫郡である。「信夫国造、志賀高穴穂朝御世、阿岐国造同祖、久志伊麻命孫久麻直定賜国造」と見える。しかるに、神護景雲3年3月紀に「信夫郡人外正六位上丈部大庭等賜姓阿倍信夫臣」とあって、阿倍臣を称しているのも、同氏人であると思われる。ここに二祖を生じているわけであるが、丈部とあるにより、阿倍氏の部民であったことが窺われる。おそらくこの氏も元来蝦夷族であることは疑いがない。
 なお信夫国造の重出かと云われている思国造というのがある。出自も同じく「志賀高穴穂朝御世、阿岐国造同祖十世孫志久麻彦定賜国造」とあり、志久麻は色麻郡色麻郷より出た称であろうという。信夫国造の系を引いた一小国造であろう。承和15年紀に「色麻郡少領外正七位上動八等陸奥臣千継等八烟、賜姓阿倍陸奥臣とあるのはこの氏ではないかと思う。」


《其四染羽国造》
 染羽国造は、後の標葉郡である。「染羽国造、志賀高穴穂朝御世、阿岐国造祖十世孫足彦命、定賜国造」しかるに承和15年5月紀に「陸奥国標葉郡擬少領陸奥標葉臣高生云々、賜姓阿倍陸奥臣」と見えて阿倍臣を賜うているが、神護景雲3年3月紀に「標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奥臣」とあるによって、阿倍氏の部民であったことが窺われる。
 染羽国造もまた、近隣の国造群と同様、阿岐国造系と阿倍氏系の二祖を生じた族である。


【感想】
 著者は「第六節 国造と多祖」で、実に全国44の国造についてその多祖現象を調べ上げた。これまで、その4例を見たに過ぎないが、ほぼどうようの記述が続くので、今後、詳細は割愛して、それぞれの国造の祖について、結論のみを記していきたい。
(2020.1.5)