梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・30

《其二阿尺国造》
【要点】
 阿尺国は、後の安積郡の地である。「阿尺国造、志賀高穴穂朝御世、阿岐国造同祖、天湯津彦命十世孫、比止禰命定賜国造」と見えるが、延暦10年9月紀に「授陸奥国安積郡大領外正八位上阿倍安積臣継守、外従五位下以進軍糧也」とあって、阿倍氏を称しているから阿倍氏系でもあろう。もともと丈部氏であったのを、神護景雲3年3月紀に「安積郡人外従七位下丈部直継足賜姓阿倍安積臣」とあり改称したものである。次に、延暦16年正月紀に「安積郡外少位上丸子部古佐美、大田部山前云々等賜大伴安積連」とあるのは直ちに国造家と断じがたいけれども、同所にあって安積氏を名乗るのを見れば、あるいは同族ではないかと思われる。大伴連系である。
 これらの三祖の中、第二の阿部系出自と第三の大伴系出自とは、もと両氏の部民であって、系を得て祖変したものであろう。良斎文略、十符菅薦等には、後代の安積氏が、先を国造本紀の阿岐国造祖比禰命一祖に係け、中間の阿部系、大伴系の並存事情を没しているけれども、これはあたかも阿蘇氏が中間の宇治宿禰系の出自を没して、神八井耳命一祖に係けているのに同じい。
 とにかく、阿尺国造は、中古以前のある年代において、三祖を発したものであって、元系母族は、石城国造に同じく、蝦夷部曲であったろうと想像される。


【感想】
 阿尺国造について、ウィキペディア百科事典では、以下のように解説している。
〈阿尺国造(あさかのくにのみやつこ)は東辺を阿武隈川が流れる安積平野、令制国での陸奥国安積郡(あさかのこおり)(現福島県郡山市(旧安積郡を包含))に相当する地域にあった阿尺国を支配した国造。『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、成務天皇の時代、阿岐国造と同祖の天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと)の10世の孫である比止禰命(ひとねのみこと)を国造に定めたとある。〉(「ウィキペディア百科事典」より引用)
 したがって、阿尺国造の三祖とは、第一が比止禰命、第二が阿倍系、第三が大伴系ということだろうか。ともかくも、阿尺国造もまた、石城国造と同様に、元系母族は蝦夷部曲であったろう、ということはわかったが、詳細や祖変の事情はわからぬまま、先を読み進めることにする。(2020.1.4)