梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の《仕事》

 東京新聞朝刊の「発言・ミラー」欄に、女子中学生(14歳・東京都葛飾区)が綴った記事が載っている。その全文は以下の通りである。
〈私には、大学受験を控えた姉がいる。生まれつき耳が悪く、聴覚特別支援学校に通っている。最初、姉は看護学部を志望していた。しかし、第一志望の大学から、ライセンスがとれても将来就職する時や就職後に姉自身が困ると思うので、他学部に考え直した方が良いと言われ、諦めざるを得なかった。母も姉もずいぶん落ち込んでいた。今は志望を別の大学にかえ、作業療法士になるために勉強している。が、看護学部も完全に諦めたわけではなく、受験できる大学も探しながら勉強している。姉は今まで、たくさんの苦労をしてきた。小さい頃から人とコミュニケーションをとるのに苦労し、入退院も何度も経験している。小、中学校では耳が悪いことでいじめに遭い、高校ではろうの文化になじめず苦労した。聴力レベルが障害認定の基準レベルに達していないため、障害者手帳は交付されていない。持っていると適用される助成や支援制度を受けられない。就職でも「障害者雇用」は適用されない。大きなハンディを背負って就職活動に臨まなければならない。健常者でも障害者でもない姉はマイノリティー集団の中でもマイノリティーなのだ。社会に出れば「ただ聞こえづらい人」。彼女の苦労はなかなか理解されない。「障害者雇用」は、何のための、誰のための制度なのだろう。一生懸命に頑張る十八歳の姉に、社会はもう少し優しくならないのだろうか。「難聴者も暮らしやすい社会」に少しでも近づくよう、多くの方に障害や難聴への理解を深めてもらいたい。〉
 この記事を読み終えて、私は愕然とした。なぜなら、私は1972年から10年間、聴覚障害教育に携わり、また、1979年から10回に亘って「インテグレーション研究会全国大会」を開催してきたからである。その事後集録で、〈インテグレーションとは「学校教育という枠を超えて、聴覚障害児(者)と健聴児(者)との《相互理解》〉もしくは《融合》の状態、あるいはその状態をめざすための行動、さらにはそれを可能にするための方法・援助」を指しているということであります。さらに私たちは、インテグレーションの方向を《たまたま聞こえる立場に立たされている》「私自身」と《たまたま聞こえない立場に立たされている》「あなた」との、全く「個人的」(プライベート)な関係の改善に求めるべきだと考えるようになりました。《たまたま聞こえない立場に立たされている》「人」を、第三者的に「彼」と見る立場ではなく、「私」と直接かかわっている「あなた」として把握し、《「あなた」のために「私」は何ができるかについて考えることが、インテグレーションの方向ではないかと考えています》。〉と、私は記した。
 以来、30年余りが経過し、聴覚障害児のための特別支援学級も存続しているようだが、
上の記事を見る限り、《難聴児・者》を取り巻く社会環境に、大きな伸展は感じられない。わずかに、投稿者の中学生(家族)と姉とのかかわりが「私」と「あなた」の関係になっていることが「救い」だが、それ以外の人々は「第三者的に」、《彼女》と見放しているという実態が露呈されている。
 いったい私自身が取り組んだ仕事とは何だったのだろうか。今では「夢幻のごとく」消え去った。 14歳女子中学生の〈「難聴者も暮らしやすい社会」に少しでも近づくよう、多くの方に障害や難聴への理解を深めてもらいたい。〉という発言に、ただ「申し訳ありません」と頭を垂れるだけなのだから・・・。