梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「智恵のことば」(浄瑠璃寺住職・佐伯快勝著・淡交社・2008年)抄読・1

『法句経』とは・・序にかえて・・
 仏教の経典はお釈迦さまが説かれた教えをまとめたものです。お釈迦さまが自分で書かれたものではなく、またその場で速記したものでもなく、教えを聞いた弟子がその弟子にと代々語り継いできたものを後に文字にしたものです。その後、多くの弟子たちの集まりで検討し確かめたものが経典になったと伝えられています。部派仏教、大乗仏教、そして密教と歩んできた仏教は経典の数も内容も多彩で拡がりがあります。 
 そんな多くの経典の中で、この『法句経』は最もはやい時代に成立した経典で、まさに原始仏教、インドで人間として活躍されていた生身のお釈迦さまの生の声に近いものだと考えられています。
(略)
 「正法」の時代が過ぎるとかたちだけはそのままあっても精神、魂、こころの抜けおちた「像法」がくる。その形さえも崩れる最悪の「末法」が来て、この時代は永く続くという「三時の法」という仏教の考えがあります。社会がゆらぐたびに、「原点へもどろう」、「基礎からやりなおそう」と歴代の多くの人々は考えてこられたのです。
 今の世界には個人や集団がひきおこす、何ともおかしなことが次々とおこります。特にこの数年、「この国はどうなっているのだろう」「これからどうなっていくのだろう」と気の重くなるできごとが多すぎます。今の時代にお釈迦さまがおられたらどう教えを説かれるのでしょうか。末法末世を強く感じなければならぬ混迷の時代、『法句経』はわたしたちに大切なことを教えてくれます。現代(いま)こそ『法句経』を読むときなのだと自分に言いきかせ、これから皆さんと一緒に読んでいきましょう。


【感想】
・「法華経」が、専門家向けの専門書であるのに対して、「法句経」は初心者向けの教科書といえるかもしれない。一般に、「お経」とは「わかりにくいもの」「眠くなるもの」「退屈なもの」「一本調子で抑揚のないもの」などと思われがちだが、本当にそうか。私もまた、昨今の世相を見聞すると、「この国はどうなっているのだろう」「これからどうなっていくのだろう」と考えることがしばしばである。とりわけ、そのことに関する宗教者、哲学者の「発言」が目立たない。しかし、時代を「明晰」と見るか、「混迷」と見るかは見解の相違であり、つねに「混迷」と感じる人々はいるだろう。さればこそ、「末法」は永く続くのである。
・そんなとき、私たちは「法句経」から何を学べるか、仏の智恵とはどのようなものか、そのことを楽しみに読み始めたい。(2019.9.26)