梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

73歳女性の《卓見》

    東京新聞朝刊「発言」欄(5面)には 「 消費税増税の是非を報じて」(63歳女性)、「名に『愛』の子奪うなんて」(71歳男性)「懸案山積でも国会審議なし」(69歳男性)、「付けたボタン頑張った証し」(74歳女性)など、高齢者の卓見が数多く掲載されていたが、中でも「毎日の外歩き 私の生きる道」は際立っていた。その内容は以下の通りである。
《今月初め、病院へ行くために歩道を歩いていると、後ろから「ちょろちょろするな」と声がしました。振り向くと、自転車に乗った年輩の女性がすれ違いざまに「なに真ん中歩いてんだよ!」と言いながら走り去って行きました。私は目の病気から首の骨が曲がり、まっすぐ前を向けません。何度も電柱や塀にぶつかってけがをしたので、いつの間にか道の真ん中を歩くようになっていたのです。外出はおっくうですが、毎日、少しでも歩かないと体力が衰える、と医者や家族に言われることもあり、歩いています。大きな声で注意していただいたおかげで、事故をおこさなくて済みました。生きていることがうれしくてなりません。これからも頑張っていこうと思います。》(主婦・小竿久子・73歳)
 私もまた、(大阪市内の)歩道を歩いていて、自転車の壮年男性から「おい、おっさん!何ボヤボヤ歩いてんのや、ジャマやんけえ!」と怒鳴られたことがある。その時、《大きな声で注意していただいたおかげで、事故をおこさなくて済みました》という気持ちには、到底なれなかった。「ここは歩道だ!自転車を降りて、押していけ!」と心中で叫んだのだが・・・。人は、邪魔者あつかいされるほど悲しく、虚しく、寂しいことはない。だがしかし、である。投稿者の女性は「生きていることがうれしくてなりません」と断言している。その一文を読んだとき、私は溢れる涙を抑えることができなかった。なんと素晴らしい心根か!「なるほど、美しく年をとるとはこういうことなのか・・・」、私の年齢は彼女よりも一つ上、煩悩の火を消し去るには、まだまだ時間がかかりそうである。
(2019.9.14)