梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・18

《第三章 譬喩品》



【要点】
・そのとき、舎利弗は、おどりあがり、歓喜して、そこで起ちあがって合掌し、世尊の顔を仰ぎ見て「いま、世尊から、この法のおことばを聞いて、心におどりあがる感じを懐き、これは未だかつてないことを得ました。なぜかと申しますと、わたくしは昔このような法をお聞きしましたときに、多くのボサツが、未来に仏に成るという予言を受け、実際に仏に成るのを見ましたが、わたくしたちは、このことに関係できませんでしたので、自分が如来の量りしれない智慧の見解を失格していることに、たいそう悩み苦しみました。(略)世尊よ、わたくしは昔からこのかた、昼も夜も休まず、つねにみずから自責の念にかられていました。それなのにいま、仏から、未だかつて聞いたことのない法を聞き、多くの疑問や後悔をなくし、身も心も泰然としておちつき、愉快で安穏であることができました。こうして、今日はじめて、わたくしたちも真に仏の子であり、仏の口より生じ、法から生まれかわって、仏法の一部分を獲得した。こういうことがわかりました。」
・そのとき舎利弗は、再び重ねてこの意義を宣べようと欲して、つぎの詩を説いた。
「(略)わたくしは、これからきっと必ずや仏と成って、天・ひとびとから尊敬され、最高の仏法の輪にたとえられる教えをころがし説いて行って、多くのボサツを教化しましょう。」
・そのとき、仏は舎利弗につぎのように告げられた。
「(略)舎利弗よ、わたくしはむかしなんじに仏道を志願させたのに、なんじはいまになると、ことごとく忘れてしまって、自分ですでに寂滅のニルヴァーナを得たと思い込んでいる。わたくしはいまになって、昔にもどって、なんじに、仏のもともと懐いている誓願によって実践してきたところの道を、思い起こさせよう、と欲するがゆえに、多くの声聞のために、この大乗経(典)である『妙法蓮華経』を説くのであって、この経典は、ボサツを教える法であり、また仏に護り念ぜられるおのと名づけられている。舎利弗よ、なんじは未来世において(略・永い間)多数の仏を供養し、正しい法を受持してたてまつり、そしてボサツの実践すべきところの道をそなえ満たして、必ず仏となることができるであろう。そのとき、その号を華光如来、聖者、完全無欠なブッダ、明らかな智と実践とをそなえるもの、行いの正しいもの、世界のことを知っているもの、最高者、人間の調教師、天と人間との師、仏、世尊といい、その国は離垢(ヴィラジャ)という名前であろう。その国土は、平坦で、清浄で、おごそかに飾られ、安穏で、豊かに富み。天・ひとびとが非常に勢いさかんであろう。(略)舎利弗よ、その(華光)仏が出現されるときは、その時代が悪世ではないけれども、もともともっている誓願にしたがって、三つの乗りものの、法を説かれるであろう。そして、その劫を大宝荘厳と名づけるであろう。(略)それは、その国のなかにあっては、ボサツを大きな宝とするからである。この多くのボサツは、量りしれず(略)、その数に関しては、仏の智慧の力でなければ知ることができないであろう。舎利弗よ、華光仏の寿命は十二小劫であろう。(略)その国の人民の寿命は八小劫であろう。華光如来は十二小劫をすぎてから、堅満ボサツに、未来には必ず最高の完全なさとりが得られるという予言を授けて、多くのビクにつぎのように告げる。『この堅満ボサツは、つぎに必ずや仏となるにちがいない。そしてその号を華足安行如来、聖者、完全無欠の仏というであろう。その仏の国土もまた、このようになるであろう。』舎利弗よ、この華光仏の入滅されたのち、正しい法が世界にとどまることもまた、三十二小劫続くであろう。」
 そのとき、世尊は、再び重ねてこの意義を宣べようとして、つぎの詩を説かれた。
「舎利弗は、来世には、仏・あまねき智慧を有する世尊と成り、その号を名づけて華光といい、必ずや量りしれないほどの、多数のものを済度するであろう。(略)仏の遺骨は広く流布して、天・人々はひろく供養するであろう。(略)この人間の最高者である尊者は、最もすぐれていて、匹敵するものはいないであろう。かれ華光仏がすなわちこれ、舎利弗よ、なんじの身なのである。よくまさにみずから喜びなさい」


【感想】
 釈迦牟尼仏は、「方便品」の末尾で、舎利弗に「なんじらはすでに多くの仏や世界の指導者の、それぞれにふさわしい教化の方法を知っている。また多くの疑惑をもつことなく、心に大歓喜を生ずれば、自分自身が必ず仏となるにちがいないと知ってよろしい」と告げた。それを聞いた舎利弗は飛び上がるほどの喜びを感じ、合掌しながら申し上げた、というところから、「譬喩品」は始まる。舎利弗はこれまで「自分が如来の量りしれない智慧の見解を失格していることに、たいそう悩み苦し」んでいた。「それなのにいま、仏から、未だかつて聞いたことのない法を聞き、多くの疑問や後悔をなくし、身も心も泰然としておちつき、愉快で安穏であることができ」たということである。その未だかつて聞いたことのない法とは、大乗法典である「妙法蓮華経」であり、舎利弗は未来世において華光如来になることが約束されたのだから、喜ぶのは当然だろう。華光如来の寿命は十二小劫であり、入滅後、「仏の遺骨は広く流布して、天・ひとびとはひろく供養するであろう」とも予言されている。多くの寺院に建てられた塔の由来はそういうことだったのか。
 しかし、ここでも「妙法蓮華経」とはどのような教えなのかは、私には分からなかった。(2019.9.1)