梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・17

《第二章 方便品》
【解説】・4・《「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用)》
《二乗作仏の意義・・・十界互具》
(略)
須田晴夫:二乗とよく比較されるのが、三乗のなかの菩薩です。菩薩には「利他」の心があるけれども、二乗には「自利」しかない。だから二乗は成仏できないのだ、と。
池田大作:六道(地獄界から天界まで)の世界を嫌うのが二乗ですから、そこから出て、“虚空の如く”なったら、もう現実世界には戻ってこない。戻ってこず、六道の衆生を救おうとしない。じつは一切衆生に恩があることを忘れてしまう。(略)救うべき人々を見捨ててしまっては、もはや仏法ではない。また、それでは自分も救われない。ゆえに、「一念も二乗の心を起こすは十悪五逆に過ぎたり」(御書)とされたのです。
(略)
池田:(略)菩薩は「四弘誓願」といって、成仏をめざして四つの誓いをした。その一つ、「衆生無辺誓願度」とは、すべての衆生を救わんとすることです。二乗を不作仏のまま見捨てるなら、菩薩は、この誓いを捨てたことになる。誓いを捨てれば成仏はできない。
(略)
池田:なぜ、こういう錯覚と矛盾におちいてしまうのか。結論から言えば、法華経以外は「十界互具」ではないからです。
須田:十界とは、地獄界から仏界までの十種類の生命の境涯ですが、十界互具とは、十界のうち、すべての一界に、そのほかの九界が具わっていることです。
斉藤克司:十界互具のポイントは「九界即仏界」「仏界即九界」にあります。そのうちシャク門では「九界即仏界」になっています。二乗も含む九界に、仏界が具わっていることを明かします。
池田:端的に言えば、仏界とはどこにあるか。二乗界にある。逆に、二乗界はどこにあるか。菩薩界にある。また仏界にもある。生命観の大転換です。
(略)
池田:法華経以前の経典には、十界それぞれの因果が別々に説かれている。しかし、そこで説かれる成仏には実体はなく“影”のようなものです。法華経には、その十界の因果の「互具」が説かれている。ゆえに法華経によって初めて、十界すべての衆生に成仏が可能になるのです。
(略)
池田:(略)大聖人は「二乗を永不成仏と説き給うは二乗一人計りなげくべきにあらざりけり、我等も同じなげきにてありけりと心うるなり」(御書)と仰せです。そして「人の不成仏は我が不成仏、人の成仏は我が成仏・凡夫の往生は我が往生」(御書)という考え方を示されている。(略)これは、従来の生命観、世界観の大変革です。「他人だけが不幸」はありえない。「自分だけが幸福」もありえない。他者の中に自分を見、自分の中に他者との一体性を感じていく・・・「生き方」の根底からの革命です。すなわち、人を差別することは、自分の生命を差別することになる。人を傷つければ、自分の生命が傷つく、人を尊敬することは、自分の生命を高めることになる。
斉藤克司:「十界互具」の生命観に立てば。人間は差別を超えられる、平等になれるということですね。
池田:その通りです。「権経は不平等の経なり、法華経は平等の経なり」(御書)と大聖人は仰せです。(略)そして大聖人は、末法は「南無妙法蓮華経の大乗平等法の広宣流布の時なり」(御書)と教えてくださっている。
(略)
須田:目が覚めるような思いがします。二乗作仏には、ここまで現代的な意義があったわけですね。
池田:ただ、ここで論じたのは「シャク門の十界互具」であって、「九界即仏界」「仏界即九界」の両側面のうち、「九界即仏界」の面だけです。真の十界互具は、本門の寿量品(第十六章)で、仏の常住が明かされて初めて完成する。これはまた、別の機会にかたることにしよう。


【感想】
 ここでは、法華経がそれ以前の経典と比べて「異なる」点が強調されている。それは仏道を成就することが、「自分だけではだめだ」ということであろう。自分だけの成仏はあり得ないということは、他人が幸せでないのに、自分だけが幸せになることはできないということに通じる。不幸な人を見て「気の毒」「かわいそう」と同情はするが、自分まで不幸になろうとは思わない。それが凡夫の実態だろう。しかし、実を言えば、自分も幸せではないということである。そのことに気づいていないのが凡夫の凡夫たる所以かもしれない。自分のことは顧みず、他人が幸せになればよい、という人には、すでに仏性が具わっており、成仏している、ということになるのだろうか。ここで解説されていることが、「方便品」のどこをよめばわかるのか、よくわからなかったが、法華経がそれ以前の経典にくらべて、より釈迦牟尼仏の教えを「正しく」(成熟して)伝えているらしい、ということは分かった。また、創価学会の活動の主眼が、(他人の成仏をめざす)「広宣流布」にある理由もわかった。今では、世界に向かって範囲を広げているようだが、クリスチャンや回教徒に対しては、どのようなスタンスで関わるのだろうか。「解説」は、「師弟不二」「諸法実相」などとまだ続くが、「方便品」は一応読み終えたので、その先を読み進めることにする。 
(2019.8.31)