梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・16

《第二章 方便品》
【解説】・3・《「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用)》
《「法開会」と「人開会」》
斉藤克司:まず基本的なことを確認しておきたいと思います。「開三顕一」とは、方便品に始まる法華経シャク門の中心的な説法の内容を要約した言葉です。「三乗を開いて一乗を顕す」という意味です。「三乗」とは、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三つを言います。それぞれ声聞のための教え、縁覚のための教え、菩薩のための教えという意味です。「乗」と言われているのは、教えを「乗り物」に譬えています。仏の教えは、人を乗せてより高い境涯へと運ぶものだからです。また「一乗」とは“唯一の教え”という意味です。仏の唯一の教えは、“仏に成る”ための教えなので「仏乗」とも「一仏乗」とも言います。これには、仏自身が乗ってきた乗り物という意味もあります。仏自身が歩んできた道を教え、仏自身が乗ってきた乗り物を与えるのが一乗です。
遠藤孝紀:方便品では、いわゆる「開示悟入の四仏知見」として一乗を明かしています。衆生に仏知見を開かせ、示し、悟らせ、仏知見の道に入らせるのが、仏の唯一の教えです。またこれが、仏がこの世に出現した唯一の目的であるという意味で「一大事因縁」とも言われています。仏知見とは、仏の智慧であり、悟りです。一切の究極を知る最高の智慧なので、方便品では「一切種智」とも言われています。この智慧を開いて得る最高の悟りを「無上菩提」(アノクタラサンミャクサンボダイ)と言います。仏知見こそ、一乗が教えるものなのです。
須田晴夫:ところが、この仏知見は簡単には分からない。言葉を超え、思考を超えているからです。人間だれしも、種々の異なった執着を持っている。ゆえに、いきなり随自意で仏の真意(仏知見を開示悟入すること)を説いても理解できないし、拒否したり不信を起こして悪道に堕ちてしまうかもしれない。そこで随他意として、衆生の機根に合わせた教えが必要になってくる。ここから仏の「方便の力」によって衆生の生命状態に応じて説かれた教えが三乗です。それは、仏知見を教えるものではない。仏の真の目的ではない。しかし、目的である一乗を教えるためには、その衆生に対して不可欠の手段になるものです。池田大作:方便品では、三乗の教えを仏が説いた真意は、一乗にあることを徹底して説いている。これが開三顕一です。仏の教えは一乗だけであり、二乗も三乗もないと強く言っています。(略)「三乗は方便」「一乗こそ真実」と明かして、三乗を一仏乗のもとに統一することを「開会」と言う。この開会には、人と法の二面がある。
斉藤:はい。「法開会」は、三乗を一乗に統一することです。統一された後は、三乗の教えも一乗のなかに正しく位置づけられ、それぞれに意義があることになります。部分観として生かされるのです。これに対して「人開会」とは、一乗によって教化される衆生はすべて菩薩であると明かすことです。方便品に「諸仏如来は但だ菩薩を教化したまう」とあり、また「但だ一乗の道を以て、諸の菩薩を教化して、声聞の弟子無し」等とあります。これは一仏乗という乗り物を示して、一切衆生、とくに声聞・縁覚という二乗に、これに乗りなさいと呼びかける。それによって二乗も、菩薩へと統一されます。菩薩とは「成仏をめざす人」であり、より深くは「成仏が確定した人」です。その意味でマカサツ(偉大な人)とも言われます。
池田:要するに、仏の教えは「一仏乗しかない」とはっきり言うことは、一切衆生が菩薩であると示すことになる。二乗も菩薩であり、仏に成れるのです。人開会は、一乗の教えがすべての衆生を成仏させることを強調するものです。その要が、法華経の「二乗作仏」です。この法と人との二面から見ていけば、開三顕一が理解しやすいのではないだろうか。とくにここでは、人開会つまり二乗作仏を中心に考察していきたいと思う。


【感想】
・私は先に「ところで、釈迦牟尼仏は、なぜこれほど「乗りもの」にこだわるのだろうか。おそらく、仏の智慧を得る(悟りを開く、解脱する)ためには「出家しなければならない」といった小乗仏教の考え方がまだ根強く残っているなかで、ひとまず、それを許容したうえで、さらに「出家しなくても」(今の生活のままで)仏の智慧を得ることができるという「大乗仏教」の経典をを強調したかった(仏道を成就ハードルを低くした)ためかもしれない。」と感想を書いたが、それは的外れだったのか・・・。「一乗」は大乗仏教、「二乗」は、小乗仏教だと思っていた。というのも、声聞は《声聞を、縁覚・菩薩と並べて二乗や三乗の一つに数えるときには、仏の教説に従って修行しても自己の解脱のみを目的とする出家の聖者のことを指し》(ウィキペディア百科事典)、縁覚については《修行者の性質や修行の階位を示す仏教用語で、性質としては仏の教えによらずに独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者を指す》(同上)という記述があったからだが・・・。
 ここでは「開三顕一」、また一乗と二乗の違いについてわかりやすく解説されてたが、やはり「一乗」の教えとは“仏になるための教え”であり、いきなり随自意で説いても分からない、ということ以上のことはわからなかった。私が最も知りたいことは、「仏の智慧と人間の知恵とはどのように異なるか」という一点だが、それを理解するには、私自身が仏道に入り、成就しなければならない、ということだろうか。
(2019.8.29)