梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「人間革命」(池田大作・聖教新聞社・2013年)の《疑問》・1

 「人間革命」(池田大作・聖教新聞社・2013年)の第12巻までを読み終えた。昨年の秋、友人から第1巻を贈られたのをきっかけに、興味をそそられ、とうとう最終巻まで読み進んでしまった。どんなところに興味をそそられたか。①1945年から1960年頃までの出来事が描かれており、私の前半生を思い起こせたから。②登場人物にはモデルがあり、そのモデルが誰であるかを突き止めたいから。③「創価学会」という宗教法人の成り立ちや経緯について知りたかったから。④「創価学会」がどのような教義を信奉しているのか知りたかったから。
 最終巻まで読んで、①については十分満足、②、③は「ある程度」判明、④は未だに難解という感想をもった。 
 この小説(?)がどのような意図で書かれたか、宗教法人としてのねらいは何なのかは知るよしもないが、「会員向け」に書かれたことは明らかであろう。1944年、初代会長・牧口常三郎は獄死、1945年7月、弟子の戸田城聖が東京中野の豊多摩刑務所を出所するところから「物語」は始まる。まもなく日本は敗戦を迎え、戸田は二代目会長として「創価学会」および「日蓮正宗総本山大石寺」の再建に取り組む。爾来14年、目標だった75万世帯の入会も達成し、戸田は58歳で病没した。後を託されたのが池田大作のモデルとされる山本伸一という人物、彼が三代目の会長に就任するところでこの「物語」は終わる。小説とはいいながら、戸田の後半生記であることは間違いなく、牧口常三郎、戸田城聖、日蓮正宗の僧侶・日亨、総理大臣・岸信介など「実名」で登場する人物もあれば、山本伸一ら「学会員」はすべて「虚名」である。なぜだろうか。描かれていることは「記録」ではなく「小説」だからか。「事実」ではなく「虚構が含まれている」からか。そのあたりは判然としないが、私が最も疑問に思ったことは、この作物を書いたのは、本当に池田大作なのだろうかという一点であった。池田大作が自分をモデルに山本伸一という人物像を描いたとすれば、まさに「噴飯物」なのだ。戸田城聖の後継者として「山本伸一を措いて他にない」などと、どうしていえるのだろうか。巻末に「わが恩師 戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 池田大作」という献辞があるので、著者は池田大作以外にあり得ない。だとすれば、彼は並外れた「ナルシシスト」(自己愛主義者)ということになる。
 万が一、池田大作以外の人物(ゴーストライター)が書いたとすれば、献辞や「あとがき」は《嘘》ということになる。
 どちらにしても、池田大作という人物にとっては《都合のいい話》ではない。そこらあたりを明確にしないところが「創価学会」の真骨頂(会員以外の読者は想定していないという)なのだろうか。(2019.5.13)