梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

脱テレビ宣言・検証・《嘘と真実》

 「百聞は一見に如かず」というが,はたしてそうか。テレビの映像を見て,そこに映し出された事物が「真実」であると思ってはいけない。寄席の手品と同様に,テレビには種も仕掛けもあるのである。
昔,スプーンを曲げる少年が登場し,実際にその場面が放映された。そこに居合わせた,画家の岡本太郎が感想を聞かれ,苦渋に満ちた表情でただひとこと「子どもの遊びだね」と吐き捨てるように言った様子が忘れられない。当然のことながら,彼はその場で,スプーン曲げ遊びの「種」や「仕掛け」を見抜いていたに違いない。しかし,それを視聴者に向けて明らかにしなかったのはなぜか。私もまた,苦渋に満ちた表情で「それを言っちゃあー,おしまいだよ」と言うべきであろうか。
 岡本太郎は,なぜ嘘を嘘だと暴露しなかったか,私の勘ぐりによれば,彼は暴露したくても暴露できなっかったのではないか。自分の立場を考えたのである。番組関係者は,少年の嘘を「真実」だと信じていたのだろうか。私の勘ぐりによれば,信じていたと思う。もしそれが嘘だとわかっていたら,番組そのものが成立しなくなるからである。いうまでもなく,番組は商品であり,関係者の目的は視聴率を稼ぐことである。少年は超能力でスプーンを曲げると言う,おもしろい,めずらしい,やらせてみよう,視聴者は飛びつくに違いない,視聴率が稼げる,嘘か真実かはどうでもよい,でも願わくば真実であってほしい,後から誤報なんてみっともない・・・。この程度の感性,認知能力ではなかったか。
世界的な芸術家,岡本太郎は,この程度の感性,認知能力に付き合わされてしまったのである。だから,苦渋に満ちた表情を隠せなかったのであろう。今さら,証拠を挙げて嘘を暴露する気にもならない。「こんな番組に出演しなければよかった」と彼は思った。
しかし,それが「真実」であるかどうかはわからない。(2004.1,7)