梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

兄弟の死

 愛くるしい二人の兄弟は、遂に逝ってしまった。児童相談所の所長は「助けてあげられなくてごめんなさい」と謝ったが、同時代に生きる大人たちのすべてが謝らなければならない、と私は思う。
それにしても、二人の兄弟はどうしてあのように「かわいらしい表情」を見せることができたのだろうか。報道されたあの写真は、いつ、どこで、誰が撮したものだろうか。
当初、私は「二人は絶対に生きている」と確信していた。逆境の中でも、あのような写真を撮る人がいる限り・・・。
また、兄弟が住んでいたアパートのベランダには、真っ白い洗濯物が、見事なまでに整然と吊されていた。その洗濯をしたのは誰だろうか。あのような生活をしている人がいる限り、兄弟が殺されるはずがない。
しかし、現実はそれほど「甘く」はなかった。
兄弟を誘拐し、殺害した容疑者は、「覚醒剤」を常用し、「虐待」(暴行)を繰り返していたという。そのことを周囲の関係者が「知りながら」、救い出すことができなかったのはなぜか。皆、「自分のこと」を第一に考えていたからではないだろうか。
容疑者の贖罪は無論のことだが、覚醒剤の製造・提供を容認している社会、「子ども」を「親の所有物」として「私物化」している社会、「人に迷惑をかけない・かけられたくない」ことが規範とされている「個人」偏重の社会、そのような社会を形成している私たちもまた、(「間接的な容疑者」として)贖罪を免れることはできないのではないか。
兄弟の死は、世界に誇る「長寿国・ニッポン」の「平和・幸福」が、「砂上の楼閣」に過ぎないことを、悲しく物語っているのである。(2004.9.20)