梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

父のレコード・5・二代目市川左團次

 私の歌舞伎鑑賞は、小学生時代、父のレコードを「聞かされる」ことから始まった。したがって、舞台の映像ではなく、もっぱら役者の音声(口跡)を鑑賞したにすぎなかったのだが、耳にたこができるほど、何回も「聞かされる」ので、その印象は今でも心中・脳裏に強く刻まれている。登場する役者で最も思い出深いのは、二代目・市川左團次だ。「丸橋忠弥」(堀端の場)、「修善寺物語」(修善寺夜叉王の住家)の2枚のSPレコードが遺されている。
 前者は、慶安期、幕府転覆を目論む由井正雪の盟友・丸橋忠弥(二代目市川左團次)が、堀の深さを測ろうと堀端にやってくる場面から始まる。「おいとこそうだよ・・・」という音曲が流れる中、どこかの居酒屋であろうか、それとも屋台であろうか。ここに来るまでに(酒を)「家を出るときに4合、ドジョウ屋で3合、ハマグリで6合、ガンナベで5合」も飲んできたという。すでに泥酔状態の風情、亭主(三代目市川荒次郎)に熱燗1本を、「持ってこい、持ってっこい、持ってこーい」と注文したが、その場に寝込んでしまった様子、突然、犬の鳴き声で目を覚ました。犬が忠弥の口を舐めたらしい。「小間物屋の催促に来たのか。汚い野郎だな。まだ出さないからあっちに行っていろ」と追い払おうとするが、犬は吠えるばかりで立ち去ろうとしない。忠弥は「行かなきゃ行くなよ、行かなきゃ行くなよ、行かなきゃ、こうしてやってやらあ、どどどっこいしょ・・・」と言いながら、堀に向かって石を投げ入れる。
石が沈んでいく音で深さを測ろうとしているのだ。それを誰やら(松平伊豆守・六代目市川寿美蔵)に見咎められ、名前を聞かれたが「忠兵衛と申します」と言い逃れ、「もう用はない、行け」と解放される。「ふん、何にも用もないのに呼んでやがらあ」とつぶやく様子が、子供心にもおかしかった。それにしても、その酔態の風情は鮮やかで、父は、「4+3+6+5」で1升8合、堀端の屋台で2合なら「2升飲んだことになる」と、しきりに感心していた。
 父もまた酒好きで、居酒屋や晩酌に付き合わされることが多かったので、大人の酔態は見飽きていたが、「酔っ払い」が登場する歌舞伎は「わかりやすく」最も親近感を感じる演目であった。
 後者は、一変して、面打ち師・伊豆の夜叉王(二代目市川左團次)の物語である。将軍家に頼まれて、源頼家(六代目市川寿美蔵)の面を打ったが、夜叉王は気に入らない。何度打っても面に「死相」が現れるからだ。納期が来て、頼家が直々に訪れた。夜叉王は「まだできていない」と断るが、娘の桂(三代目市川松蔦)が、(面はできている)「いつわりならぬ証拠」と言いながら面を差し出すところから始まる。一同は、「上様お顔に生き写しじゃ」と見事さに感嘆した。頼家もたいそう気に入り、娘の桂に持たせて戻っていったが、その夜、鎌倉勢の夜討ちに遭う。桂は武者姿になって先刻の面を被り、身代わりになろとして手傷を負い、夜叉王の住居に戻ってきた。しかし、その甲斐もなく「上様はあえない御最期」・・・。まもなく桂も「上様の身代わりになれただけで本望じゃ」と言い残して息を引き取る。桂の妹・楓(市川松莚)が「これ、とと様、姉様が死にまするぞ」と悲嘆に暮れれば、夜叉王は「姉は死するか、さだめし本望じゃろう。父もまた本望じゃ」と言いつつ「いくたび打ちなおしても死相が現れたのは、わしの技が未熟だったためではない。その人の宿命までも掘り出すことができたのだ。わしは天下一だ!」と叫んで高笑するうちに閉幕となった。
 二代目・市川左團次の交友範囲は広く、国内では小山内薫、岡鬼太郎、川尻清潭、真山青果、永井荷風、岡本綺堂ら、国外ではソ連の映画監督・エイゼンシュテインとも親交を深めたという。歌舞伎といえば「型」(形式美)が尊ばれるが、彼の芸風は「自由闊達」で、なおかつ(観客の心を揺さぶる)「真実」(リアリズム)を求めてやまない空気も漂っているようだ。(2019.4.23)