梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・71

■拒否と否定
《拒否》
【要約】
 拒否態度は0歳2カ月ごろから、一定の形で明確に示される。哺乳瓶の代わりにおしゃぶりを与えると、頭を振り、怒って泣く。拒否は、もともと情動的な排除、あるいは嫌悪の直接の結果生じる行動であり、生得的な傾向である。拒否には、否定の性質である“真でないことの表明”はふくまれていない。発達的にいえば、拒否は原初的で単純な基本的な適応的反応であるのに対して、否定は判断ないし叙述の構成分である。
《拒否発声の発生因》
 シュテルン(Stern u. Stern,1907)は、拒否態度が発声反応に関与することによって、拒否発声が生じてくるので、この発声は嫌悪・排除の欲求に基礎をおく防御反応であり、否定とは区別されるべきだと述べている。レオポルド(Leopold,1949)も、No!は自己の消極的意志を表明する拒否反応であるのに対して、notは否定、つまり、一種の判断の表明であると述べている。
 拒否発声は、非言語的な拒否行為を基礎として生じてくる。それは、拒否的な道具的反応に伴って出てくる一種の掛け声によって開始される。そのあと、この発声は運動反応から独立し、それと等価の価値をもつようになる。拒否発声は命令や干渉を拒み、助力を排するのに有効なので、その使用はひんぱんになる。ある1歳9カ月~1歳11カ月の子どもは、イヤイヤを強い欲求の生じるときに必ず用いた。別の1歳8カ月の子どもも同じ条件のもとでNo!を用いている(Leopold,1939)。レオポルドはこのような時期が多くの子どもにあることを認め、この時期を“ノー・コンプレックス期”と名づけている。
《拒否と否定との関係》
 この種の拒否は、聾幼児の行為にもひんぱんに観察され、拒否の表明が生活上不可欠であることを物語っている。彼らも、拒否の最も定型的・慣用的な型である、顎の左右への運動を用いる(Heider and Heider,1941)。 
 発生期の音声的な拒否と否定との間にはきっちりした分類ができない。初期には、拒否の音声形式はNo!であることもあり、Not!であることもある。この場合のNot!はNo!と等価の反応であり、拒否の表明にすぎない。拒否と否定を使い分けられるようになるのは2歳段階に入ってからである(Leopold,1939)。
 聾幼児においても、顎の左右運動が否定判断の表示に利用されるのは、2歳段階に入ってからだといわれている。たとえば、相手への指示行為と組み合わされたこの顎の運動は、“これはあなたのものではない”ということを意味する(Heider and Heider,1941)。
《日本児の拒否と否定》
 日本児の拒否はイヤ!によって、否定は、・・・ナイ、またはチガウによって表示される。イヤ!という発声は、強い欲求一般に基づいて生じる時期がある。一方、ナイはイヤ!とはまったく異なる事態で、探索遊びと結びついて生じることが多い。たいていは、ナイ→アッタという一連の結びつきで生じる。まだ、叙述に発展する否定判断の基礎としては不十分である。
 これに対して、チガウという発声は、その使用のはじめから否定判断として生じるようである。それは、自己訂正談話のなかだけで生じる。
●ジェーチャン チャウ(チガウ)ワ チェーチャン
●ニャンニャン チャウ ニャンコ
 先行する語の構音ないし語を後続語で訂正する場合にだけ、チガウという否定が用いられる(村田,1962)。
このように、拒否は否定との発生源、発生時期を異にしている。拒否は基本的欲求の充足と苦痛除去というバイタルな目的に役立つ道具として独立した一つの伝達型であり、きわめて早期から生じている。拒否と否定は、発達論的な観点からは「同一視」できない。


【感想】
 ここでは、(働きかけられたときに)応答しないで、拒否あるいは否定する反応について述べられている。拒否は、生後2カ月ころから生じるが、否定は2歳段階に入ってから生じる、だから拒否と否定を「同一視」してはならないということが、よくわかった。
 拒否を表す音声は、英語ではNo!、日本語ではイヤ!である。否定を表す音声は、英語ではnot、日本語では「・・・ナイ」または「チガウ」である。
 では、「自閉症児」はどのようにして拒否や否定を「表現してきた」、あるいは現在「表現している」のだろうか。彼らの行動特徴は、「新しい事物、場所、人物」は基本的に《回避》するので、他から働きかけられる機会は少なく、結果として「拒否や否定」する場面は限られているのではないだろうか。どうしても「避けられない」場合には、他の子どもと同様、「大声をあげたり」「首を振ったり」「泣き出したり」「暴れたり」「相手を攻撃したり」するだろう。そして、そのような反応を引き出すことが、彼らの「療育」にとって最も重要な点だと思われるが、現実はその正反対ではないだろうか。育児者の「かかわり方」はどこまでも行き届いており、子どもが「拒否」したり「否定する」機会を《はじめから与えようとしない》。それが、子どもの気持ちを《安定させる》秘訣だと確信している。専門家による「療育の方法」も《手探り》の段階であり、とりあえず、子どもとのトラブルは避けたい。「自閉症は治らない」という定説に従って、徒に親や子どもを刺激することなく、コミュニケーションや生活能力のスキルアップを図ろう、といったあたりが現状ではないだろうか、と私は邪推する。
 「自閉症スペクトラム」と診断された5歳の幼稚園児が、この4月、始業式の日に「オトモダチ ゼロニン」「センセイ ゼロニン」と言って、泣き出したという話を聞いた。年長組に進級した際に、クラス編成が変わったからである。彼は、「否定」を「ゼロ」という言葉で表現している。なぜだろうか。実に興味深い問題だと思う。
(2018.9.2)