梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「急性心筋梗塞」・《生老病死》

 「急性心筋梗塞」は、仏語《生老病死》を具現化していると、私は思う。生命体の根源である心臓や血液は「生」であり、血液を全身に行き渡らせる血管の老化・動脈硬化は文字通り「老」であり、冠状動脈に梗塞(「病」)が起きれば、「死」に至る。
 「死」へのプロセスは自然のなりゆきであり、誰も食い止めることはできない。ただ「死」を先送りする姑息な手段はある。私は今、その一つである「服薬」、さらには「リハビリテーション」「栄養改善」(減塩)「生活改善」(断煙・断酒)などに頼っているが、余命は幾許もないと覚悟している。
 現在、「急性心筋梗塞」手術後の治療のために、7種類の薬を服用しているが、それだけではない。「前立腺肥大」(前立腺炎)の薬が3種類、「老人性乾皮症」の薬が4種類、「脊柱管狭窄症」、「高血圧症」の薬が各1種類、処方されている。つまり、私は毎日16種類の薬を飲まなければならないということになる。誰が考えても「飲み過ぎ」だと思うだろう。それぞれの薬には副作用があり、肝臓や胃などに少なからずダメージを与えることは明白である。そこで、私は「病」の優先順位を決めなければならない。心臓に比べて足腰、皮膚はそれほど重要ではないか。でも前立腺は除外できない、というわけで毎日10種類の服薬にとどめることにする。あとは、それらの副作用に私の身体が耐えられるかどうか。いずれにしても、服薬は、私の生命を延ばそうとして、逆の効果をもたらすという矛盾をはらんでいる。「生かそうとして殺す」「生きることは死ぬことである」という真理が鮮明になるのである。
 どこかで「100%墜落するとわかっている飛行機に乗る人はいない。しかし、すべての人は、すでにその飛行機に乗っているのだ。」といった話を聞いたような気がする。死を覚悟して「生きる」か、すでに死んでいることに気づかないで「生きる」か、それが問題である。(2018.7.8)